機微の積み重ねがある一瞬に至るまで 『愛の予感』

北海道・勇払、冬。男(小林政広)は、我が子を同級生に刺し殺され、失意からこの街の住人となった。いまは下宿先から製鉄所に通っている。下宿の食堂には、無口で下を向いてばかりいる女(渡辺真起子)が勤めている。見覚えがあった。加害者の母親だ。男には、顔も見たくなかった感情が、和解を通り越して、あらぬ方向に向きつつあるという自覚があった。
出演は監督と渡辺真起子のふたりだけ。あとはエキストラ。撮影場所も、東京の室内2ヶ所、製鉄所、下宿と向かいのコンビニ前、女の家だけ。凍てつく何もない場所。男は朝起きて飯を食い、働いて昼飯を食い、また働いて帰宅し、風呂に入り、飯を食い、本でも読んで寝るだけ。女も朝起きて食堂で朝飯を作り、コンビニでサンドイッチを買って食べ、ふたたび食堂で夕飯の支度をし、誰もいなくなってから残りの白飯を漬物と味噌汁でさらさらと食べて、かえって寝るだけ。それを毎日毎日繰り返す。
そのルーチンでは、「食べる」という行為がひたすら繰り返される。しかし、男は卵賭けご飯を一杯食べると、おかずに手をつけずに食堂をあとにする。女も似たようなもの。「食べること」と「食欲があるということ」が、別個のものであることが分かる。日ごろのわれわれの食生活が、いかに欲望を基礎にしていることか。絶望のなかで、あらゆる欲望が消えてなくなってしまう。その最後の砦が食欲で、食欲が出るということが、変化の証に映る。
ふたりがどの時点でお互いを認識したのかは明らかにされない。どちらが先にその下宿にやってきたのかも。しかし、かつて顔も見たくなかったのに、最後は真正面から見つめる。そこまで一切の言葉もない。ただその過程において、食欲に変化が訪れる。食べたくなる。"生きるために食べる"から、"生きたいから食べたい"へ。監督本人による主題歌のとおり、「愛することだけが生きること」。その相手が誰であろうと、愛情が欲望を生産するのだ。
小林政広役者デビュー作は、彼以外の出演は考えられないほどの好演。重箱の隅をつつくような話をすればいろいろありそうだが、ぜひとも目を瞑りたい。今年の作品では他に類を見ない作風で、評価する人びとが試されている。