映画は薄利多売へ進むか

日本のドキュメンタリー映画が大手配給で商業ベースに乗るということは、これまでにはほとんど考えられないことだったのではないか。しかし、ここに大きな金塊があった。正確に言えば、単館系のドキュメンタリーに客が入るようになった。たとえば松江哲明監督『ライブテープ』が、平日の吉祥寺の映画館できちんと集客できるとは思いもよらなかった。そこにはマイケル・ムーアの功績もあるのだろうと踏んでいる。そもそもドキュメンタリーというジャンルを見せる機会が訪れたのには、彼によるところがあるだろう。彼への賛否の含めてだ。

この不況下、メリットもあった。社会性の強いものでなければ、どのみち撮影されていた映像にいくつかの再取材を加えるだけでいいので、おそらくコストも日数も少なくて済むのだろう。雇われ監督が半年で制作することもできない話ではない。

今月になって、松竹が『わが心の歌舞伎座』を、東宝が『DOCUMENTARY of AKB48』を公開した。どちらも観に行ったが、これが大変な盛況である。前者はさすが松竹にしか撮れない歌舞伎座の内部がつまびらかにされ、後者は岩井俊二率いるロックウェルアイズの制作。どちらの映像も見事である。

とはいえ前者は、映画がなくても演目を撮りためていただろうし、後者はNHKが以前からかなり張り付いていたのではないか。そこにインタビューを取り入れることで、ひとつの作品にしている。インタビューに決定的瞬間はいらない。一番大事なのはアポを取るということに他ならないが、それもひとり当たり1時間もあれば上等だ。

しかし比べてみると、後者のほうが筋書きがうまい。松竹は、映画を作る以前に、50年の歴史を持つ歌舞伎座を取り壊すにあたっての記録を取り、いま大御所とされる役者を当て込むことを重視している。いわば保存版の資料作りである。採算が取れなくてもそれなりのレベルの映像は制作するだろう。

ところがAKBは採算が命だ。いかにも人気のあるメンバーのインタビューと歌で構成すれば、きちんと資金は回収できる。が、ファンの期待を裏切り、歌も踊りもさほど詳細には映り込まない。むしろ、インタビューするメンバーのつながり、ドキュメンタリーならではのストーリー性を重視する。それがこの作品の、ドキュメンタリーたるゆえんであろう。

そしてやはり面白いのが、どちらも特定の幾人かにスポットをあてることを繰り返す手法で進行している点にあろう。短時間に、既存の映像を巧みに使って、低コストで進めるためには、この手法が最も有効という結論である。映画業界が、本格的に薄利多売の時代に突入しつつある。

それにしても、AKB48のファンなのか、コンサートに使うような光る棒を劇場に持ち込んでいるのを見かけた。コンサートを見に来たのだろう。上映中、ずっと友人と、この子はいいとかこの子はいらないとかしゃべっていた。しかし内容がずっぼりドキュメンタリーだったのが意外だったのか、光る棒は使用されることもなく、エンドロールの最中に早々と姿を消してしまった。ざまあみろ。