感激で涙を流し、傘を忘れるのだ 『シムソンズ』

相変わらず劇場はいっぱいでした。カーリングって野球と同じでふと立ち止まる瞬間があるから、日本人は熱中できるのでしょうね。
とにかく、強く申し上げます。泣ける。泣けるぜよ。脚本がうまい、うますぎるんです。べつに画期的なことは一切やっていない、強いて言えば韓国映画でよくやりそうなCGが出てくるなあというぐらいなのに、どうして他の作品にはあのうまさがないのだろう。いまの松竹には無理なんだろうなあ。うまい、というだけで開始10分で泣けましたよ。滅多にないですよ。
どう表現すればよさが伝わるのでしょうなあ。ここで書くのをやめるのが一番かしら。それも悔しいよなあ。いい映画って、役者がいいというよりは、役者をよくするんですよね。並々ならぬ演出力を感じます。加藤ローサって演技できるんだなあ。彼女には、現在の自分のポジションをどうにかしたいというポテンシャルのようなものを強く感じました。星井七瀬高橋真唯は、すでに安心して観ていられる役者です。藤井美菜もうまあく活かされていました。そして脇役の大泉洋徳井優山本浩司派谷恵美ほか脇役もいい縁の下です。欠点がないというのはもはや褒め言葉ではありません。
いま僕の頭のなかでは、『シムソンズ』と『パコダテ人』と『リンダリンダリンダ』の回想がぐるぐるとしています。誰を中心にするか、青春のもやもやしたところとおバカなところのどちらを前面にしていくか、舞台をどこにするか、といった諸要素でいくらでも雰囲気を変えていくことができるのが青春映画でしょう。しかし、われわれにも少なからず何かがあったわけだし、役者たちにも、そしてスクリーンそのものがリアルタイムの青春だったりするわけで、その重さはどれをとってもおんなじですよね。
ただ、都会の子と田舎の子の青春って、どこか違うだろうなあとは考えます。きっと都会なら、社会のしくみを知るきっかけがありすぎて、分かるからこそどこかお行儀のよい、あるいは背伸びしたところがあるのでしょう。逆に田舎に行けば、社会も将来も完結しているという状況があるうえ、都会に対していろいろな幻想妄想を抱きますから、おバカであどけないんです。まして道産子は暢気でケセラセラです。
その、なに臆することもなく、胸を張っておバカでいられるというのは、なんだか羨ましいです。トラックのうえで、試合の最中に、キャーキャー言って大騒ぎする彼女たちは、確実に僕の心を鷲掴みにしたまま、決して離すことはありませんでした。
会場中が心を打たれた模様で、僕の右側の客はすすり泣き、左側の客はうっかり傘を忘れたまま席をあとにしていました。あの人はその後どうしたのでしょう。この作品、実は海外で売れるんじゃないかと思っています。映画祭のフィルムマーケットでどう評価されるか、興味あります。今年のベストテンは間違いなし。