映画でこそ描きたいことがある 『相棒―劇場版―』

杉下右京(水谷豊)と亀山薫寺脇康文)、ふたりだけの特命係は、かつてかかわった代議士・片山雛子(木村佳乃)の身辺警護を命じられる。羽田空港までの僅かな道程にもかかわらず、一団はいたずらじみた爆弾の攻撃に見舞われる。やがてそれが、SNSで公表された予告殺人の警告と判明する。連続する殺人事件現場に残された暗号。杉下はそれがチェスの棋譜であると気付く。仕掛け人のメールアドレスを得た杉下は、犯人との対極に挑む。チェックメイトのあとのチェス盤には、ある得意な紋様が描かれていた。
いつものメンバー、いつもの職場、いつもの料理屋。事件も、いつもどおり、正面からは踏み込ませてくれない。なのにいつの間にか捜査一課を乗り越えて事件を終結してしまうのだが、ただ犯人を取り押さえるのでない、そこに社会の風刺や問題提起をこっそり入れてくることがあるのは、このシリーズの魅力だ。政治の世界や公権力が皮肉を込めて登場するのも。
チェスの真剣勝負と巨大なマラソン大会という、華々しい大事件が物語の中心だが、謎解きやスリリングさはメインではない。僕みたいにぼんやりしていると、前後の文脈が分からなくなりそうになる。そうでなくても、インターネットを利用した犯罪の対処法がかなり乱暴に描かれている。それでも面白いのがこのシリーズのすごいところなのだが、いちばん面白いのはそのあとだ。
メインは終盤に一気に絞られる。数年前に異国で発生した邦人拉致事件を、いわゆる「自己責任」のバッシングで回避しようとする政府の機密文書が取り上げられる。人質殺害で終わった悲しい過去をすぐに忘れてしまう、すぐになかったことにしようとする世間に警鐘を鳴らそうとしている。同じテーマを扱った『バッシング』より大きな切り口である。
杉下は言う。この国の国民は、来週事件があるといままでのことを忘れ、また次の週に事件があると、また忘れてしまうと。忘れることは大事なことだと弁明する小野田官房長(岸部一徳)にもやんわりと反論する。これを連続ドラマシリーズで語る大胆さ。そのための映画化であるならば、その価値はあるだろう。映画でこそ描きたいことがある。
つい日本人の特性を思い知らされる。人間は忘れてしまうものだとしても、日本人のそれはどちらかというと、忘れたくて忘れていることがあるのではないか。日本人は波風が立つことをことさら嫌がる。そもそもそのことがなかったことにしたがる。あの戦争でさえなかったことする、数十年という壮大な国民的挑戦があったとさえ言えないか。
ひとりの男が、機密文書というタブーに犯罪をもって挑む。もういちど国民に事件を思い出させようとして。しかし組織がそれをつぶそうとする。庶民の願いと組織の事情のなかで、観客もまた歯痒い思いをするが、最後に片山の冒険的行為に泣かされる。片山を演じる木村佳乃がとてもいい。野党のあの議員をモデルにしているのだろう。あの大阪の。西田敏行と水谷豊の二人芝居も見応えがある。