絵画のような映像と行き届いた演出に感服 『あの空をおぼえてる』

田園風景の広がる街で、交通事故が起きた。写真館を営む深沢(竹野内豊)の2人の子が走って買い物に出かける途中だった。長男の英治(広田亮平)は一命を取り留めたが、妹の絵里奈(吉田里琴)はその短い一生を終えた。それ以来、にぎやかだった家族が一変した。会話がなくなり、両親は食事もろくに取れない。とくに父親は仕事場に引きこもり、落胆の色をますます濃くしていく。そんな両親を、英治はなんとか励まそうとするのだが。
映画が必ずしも芸術とは限らないが、美術として成り立つ作品は少なくない。しかしテレビ資本が先導するいまの日本映画界は、わざわざ映画館で観るまでもない作品さえ数多あり、スクリーンに映し出される映像の美しさや、観客と作品の対話性に満足する機会は少ない。とくに、大きな出来事の起きない機微を扱った作品となると、監督の作家性が大きく問われることになる。その点、この作品が表現の美しさと確実さで、映画でしかできない映像作品になっていることが、まずなによりもうれしい。
冒頭、ストーリーの把握を観客に急がせない。いくつかの意味のつながらない映像で、総体として感覚的に状況をつかむことからはじまる。その間、台詞はない。そして病院の手術室の映像になる。と同時に臨死状態の英治が体験する風景が訪れ、それが英治が生き返る様子を表現している。なんの説明もないのに、説明以上に観客に状況が伝わってくる。シーンのひとつひとつが絵画のような佇まいをもち、それらをたくみにつなげていく。これが映画というものかと、いまさらながらに感じることができる。
失われた命と、それを受け入れて再生していく家族の物語、というと大きなテーマだが、だからといって取り立てて大きな出来事があるわけでもない。絶望の淵から立ち直ろうとして、しかし上手くできず、もがく。家族といえども、心の整理はひとりひとりがしなければならない。ターニングポイントも人それぞれ。その心境の変化や葛藤が、世間体を気にする恥じらいの風土をベースに、リアルに描写されている。
いいシーンはたくさんあるが、夫婦喧嘩のシーンと、終盤、生まれてくる新しい子のための部屋を家族3人でつくるシーンは、台詞といい演出といい、身につまされてたまらない。弱りきって身勝手な本音を吐露する父親は、きっと自分自身もああなるだろうという確信をもって身につまされる。あるいはそれに呼応する母親は、むかしよく僕に説教した母親を妙に思い出すので、また身につまされる。終盤の父親が英治に諭す台詞は、あんなふうに言ってみたいと心から思うものだ。
最近の作品で、ここまで演出が行き届いた作品はない。子役にも大人並みの演技力を求める監督の強さには感服する。そしてそれに応える広田亮平吉田里琴。とくに吉田里琴はとんでもないインパクトを作品に与えている。「4歳違いの兄妹」という設定が僕の場合とまるで一致するせいか、とにかくこのふたりに釘付けになってしまう。