なにかがどこかで絶えずずれつづけ 『砂時計』

両親の離婚で、東京から母親の故郷の島根にやってきた杏(夏帆松下奈緒)。しかし母親は故郷ですでに居場所はなく、心神を患った挙句、自死してしまう。どん底に落ちた杏を支えたのは、引っ越して早々からなにかと気を使ってくれた大悟(池松壮亮井坂俊哉)だった。ずっと一緒にいると誓ったふたりだが、杏は島根にやってきた父親に連れられて、東京に戻ってしまう。相思相愛のはずのふたりなのに、会いたい気持ちが重い空気となって圧し掛かる。
佐藤信介監督は脚本家の印象が強い。『東京夜曲』『ざわざわ下北沢』『春の雪』『県庁の星』などなど。とくに市川準行定勲との仕事が多かったようだが、今作を観る限り、彼らとは違う表現でつくろうとしている様子が伺える。そのせいかどうか、大林宣彦なごり雪』『22才の別れ』を彷彿させる。そして結果として、上に挙げた作品がいかによくできていたかを知らせることになってしまった。
全体としてとても丁寧につくられている。他人よりちょっと境遇の恵まれない、でもあくまでひとりの庶民の人生を、その人にとっての大きさでもって描かれている。子供が多い時代であれば、多難ですねで済んだ話も、いまはそうはいかない。主人公は同情に値する境遇だと思うが、そこにミーイズムが加わり、痛ましさが見え隠れしてしまう。そこも計算ずくの表現だとしたら、とても時代性に富んだ作品ともいえる。90年代をすでにノスタルジーの世界にした甲斐がある。世界の中心でナントカみたいだ。
しかし、なにかがどこかで絶えずずれつづけている感覚を否定できない。序盤、杏と大悟が出会い仲良くなる部分があまりに簡潔すぎるため、いかほどの大きさの愛を重いと感じているのか、もうひとつ伝わりにくい。その重さだけがラストまで表現されつづける。にもかかわらず、大事なシーンがベタなので、チープさが痛ましさをいっそう際立たせる。数々のキスや抱擁に、昭和の匂いしか感じない。ファーストキスに失敗する神社のシーンだけは、ちょっと微笑ましい。
いろいろと惜しい点の連続だが、その象徴が松下奈緒だろう。90年代のシーンは出演陣の奮闘が頼もしいが、彼女はどうしても説得力に欠ける。少女時代の杏よりも大人気ない感じさえしてしまう。つくり方次第では小津作品のようにすることもできたはずだが(砂時計を作品から取り除く必要がありそうだが)、夏帆香川京子になれたとしても、松下が原節子になる日はやってこない。