それは再生の物語 『船、山にのぼる』

広島県、灰塚。3町にまたがるこの谷にダム建設の計画が持ち上がったのは40年以上も前のこと。反対運動は洪水被害を目の当たりにして揺れ続け、ついに受け入れを決めた。それから運動は、いかに集落を再建していくかにテーマをシフトさせた。移住と同時に進められたアート・プロジェクトに招かれた集団「PHスタジオ」は、森の引越しとして、ダム建設で伐採される木で船を造って、山の上に乗せるプロジェクト「船をつくる話」を立ち上げた。カメラはプロジェクトの終盤数年を追っていく。
山間地の集落にとってダム建設は大きな脅威である。数十年、数百年続いたその土地での営みが消滅するが、新しい土地を得たからといって、それまでの生活を維持できるものではない。ある者は農業を辞め、ある者は山を降りる。いちど山を降りれば、近所づきあいのない都市の孤独が訪れる。それが近代化のもうひとつの姿だ。
灰塚がダムを受け入れた後、集落の再建について注力したことは大きい。さいわいにして、まだ小学校が成り立つほどの生き生きとしたコミュニティがあった。家を引っ越しただけでなく、庭に生えていた木も、田んぼも、神社も学校も橋も再建地に移転させた。ダム建設がいかに壮大な引越し作業であるかを、PHスタジオの池田修は述べる。まさにそのとおりだ。だからこそ、森の引越しを計画したわけだ。
しかし、集落にとってもうひとつ、引越しさせたい気がかりがあった。「えみき」と呼ばれる大木だ。老木で、移転させても生きていけないのではないかと思い、また経費が膨大でもあることで、移転について語ることは少なかったが、しかし誰もが集落のシンボルに別れ難さを抱えていた。あるとき、地元の建設会社が安価で請け負うことになり、思い切って引越しさせることになった。
しかし自前の計画なので、使用する重機にも限界があり、せっかく抜いた大木をトラックに載せても、重すぎて動かない。そのとき、住人が大量に現れて、まるで村祭りのような大綱引き大会がはじまる。男も女も、子供も年寄りもよそ者も、みんなで綱を引く。神社を通り、「えみき」のための公園のある場所まで。慢心で綱を引くものはいない。微力と知りながら真剣に汗を流す人びとに、目頭をつい熱くしてしまう。
「船をつくる話」はコミュニティ再建のきっかけを手助けしたが、「えみき」の引越しでいよいよ集落がふたたびひとつになった。地元の人びとがなぜそれを「総仕上げ」と位置づけたのか。そしてその引越しの困難さが、ダム建設の影響の大きさをそのまま示している。コミュニティ論とか中山間地域論とかを志す学生はいちど見ておいたほうがいい作品である。すばらしいドキュメンタリーだ。