人に憑かれる死神の話 『Sweet Rain 死神の精度』

死神は不慮の死を遂げようとする者に寄り添い、人生の目的を果たしたかどうかを判定する。多くの場合はそのまま「実行」、すなわち死に至るが、時には目的に果たしていないとして「見送り」になる者もいる。死神の千葉(金城武)の次の対象者は、バブル期の東京に住む27歳のOL、藤木一枝(小西真奈美)。周囲の者に次々と先立たれ、企業の苦情処理係としてクレーマーに悩まされる毎日を送っていた。
降旗康男監督『憑神』が人に取り付く神の三段論法(貧乏神、疫病神、死神)で、ひとりの男によく生きることを諭したが、今作はその逆を行く。死神・千葉の視点から、対象者たる3人の死に際を見て、人間にとって死ぬということの意味を学び取っていく。はじめは「死は特別なことじゃない」と言い、人間にとって大切なことであることを意に介さないが、藤木との出会いをきっかけに、いつかは死ぬけれど、人間には生きる喜びがあることを知る。よく死ぬためによく生きるのだ。
千葉の鈍感さ、連れの真っ黒い犬よりも犬みたいな愛嬌のある仕草がコミカルで、対象者とその周囲の人びととのやり取りが面白い。やくざの抗争に巻き込まれたり、老婆に翻弄されたり。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思い出す、タイムマシン的な面白さがある。
その時系列に、藤木の人生がずっと寄り添っているのがこの作品の肝だ。いちど判定を下したらもう会うことはないはずだったのに、クレーマーとの接触で転機が訪れた彼女を生かし、あるやくざの死を挟んで、数十年ぶりの再会を果たす。物語の設定やつながりにリアリティが足りず、稚拙な感じがしないわけではない。漫画っぽいというか。ただ、ファンタジーと割り切ってしまえばいい。浮いている千葉と、地に足の着いた藤木が対等に話すには、ファンタジーならではの思い切りが大切だ。
そう考えれば、決して過剰演出があるわけでなく、ストーリーにグッと引き込む力がある。しみったれたところがないのもいい。藤木の歌が流れそうで流れない遊びも効いている(人気プロデューサーに発掘されるというのも時代をもじった遊びなのだ)。出来得る100%で小品をつくる品のよさを感じた。終盤に出てくるロボットのあまりの不要さだけがどうしても気がかりだが。あれがないと未来を表現できないのか。未来が夢見るものでなくなったことはよく知っているけれど。
久しぶりの金城武だったが、いままでいちばん印象がいい。出演者は誰もがいい。とくに言わせてもらえば、小西真奈美が最高に可愛くて、光石研のやくざが最高に格好いい。小西の流転の人生でもう1本撮れる。それがこの作品の評価を上げることになる。筧昌也監督の作品は初めてだったが、演出力があるので、脚本次第では大作をつくるかもしれない。