山岳ベース・考 (実録・連合赤軍おかわり)

あの作品から3日4日と経過したが、いまなお熱情に引きずられている。その感覚が『紀子の食卓』のときに似ているので、なんとなしに比較しそうになる。以下、乱暴な文章になるだろうが、熱を引くためのおかわりを書く。気が向いたらどうぞ。
いわゆる山岳ベース事件の描写を反芻していたら、数日前の産経新聞のことを思い出した。竹内久美子氏(この方のオピニオンには、いつも論理が成立するのかどうかハラハラさせられる)は「正論」のなかで、女性は子孫繁栄のために"免疫力"の高い男性を選ぶと解説する。菌とかウイルスの類から身を守れる丈夫な男子に産ませることで、丈夫な子孫を残そうとするのだそうだ。温暖な地域ほどその傾向は強い。氏曰く「女がいったい、男の免疫力のほどをどうやって見抜くかだが、実はそれこそがルックスや声、スポーツの能力など、男としてカッコいいか、魅力があるか、なのである」。
するってぇとおいらは免疫力が低いらしい。それはさておき、同じく産経で石原慎太郎氏はコラムで、日本人のルーツはさまざまで、それらが幾重にも交雑してこそ、独自の文化が醸成されたのだと説く。これもある種の免疫力と言えよう。日本人は、何種類もの系統の人類の強そうな遺伝子が合わさって生き残った、けっこう打たれ強い雑種ということか。産経調ではあるが。
さて山岳ベースに話を戻すが、永田洋子が遠山美枝子に目をつけたのは、革命戦士としての意志の弱さが指摘されたが、ひとりの女としての感情がないとは思えなかった。のちに森恒夫の子を産むのだから、女を捨てたわけではない。遠山の女性らしさを気にしたのだろう。それは動物の行動としてしごく当然のことだと思う。女子が強い男子を望む一方で、男子は美しい女子を求め、争いの結果、強い男子がそれを獲得する。
その動物的ヒエラルキーを崩壊できるのが、共産主義的論理だったという側面があるのではないか。山岳ベース以前に殺害を指示するも失敗した持原好子も、作品では美しい女性として描かれている(桃生亜希子が演じている)。そこに監督の意図がないわけがない。美しさではなく、革命への情熱と組織をまとめるカリスマ性が頂点を極める、新しいヒエラルキーの形成を、彼女が求めていたとしても不思議はない。そういう映像になっている。
しかし、山岳ベースで惨事が起き、求めていた社会秩序が成立しなかったのは、やはり人間も動物だからなのだろう。権力を持つ者が持たざる者を虐げるのは動物的だが、殺された12人はいずれも、殺す側の意思でしか生きていなかった。ということでふたたび『紀子の食卓』の登場だが、決壊ダムさん(安藤玉恵)は、輪(サークル)について解説する。ライオンはウサギを食べる。ウサギはライオンの立場にはなれない。誰かがウサギの役をやらなければならない。それが輪であると。
当たり前の話だが、連合赤軍にウサギがいるはずがない。しかし、極限状態のなかで、もしかしたらウサギとしての活路があるかもしれないと思っちゃった人がいて、ウサギ的振る舞いをしたら、ライオンに食べられた。時計の針を回す唯一の方法だったのかもしれない。
僕自身が保守の方向だから、どうしてもこんなふうに考えが至るのね。でも、保守論壇西部邁氏だってブント出身だし、どこかつながるものはあると思う。というところで本日はここまで。続きはないかもしれない。