ステレオタイプが物語をどうさせたか 『ガチ☆ボーイ』

4月。大学のキャンパスではサークルの呼び込みが絶え間ない。彼らをすり抜け、五十嵐良一(佐藤隆太)がたどり着いたのは、憧れのプロレス研究会だった。とはいえ良一はすでに3年。司法試験の一次試験に合格したこともある秀才がなぜプロレスに。ともかく練習を始めた良一だが、2ヶ月たっても、ガチンコ抜きの段取りが覚えられず、部員をヤキモキさせる。
大学サークルの青春物語。人気がない、部員が少ない、お金がない、部室を取り上げられそう。そんななかで一発逆転の大挑戦が繰り広げられるという「いかにも」な展開である。良一のガチンコ勝負は、安全第一がモットーの大学プロレスでは異例のこと。それは良一がガチンコしかできないからなのだが、ではどうしてガチンコしかやれないのか、途中まで、登場人物の誰もが知らない。しかし、観客の90%ぐらいは知っている。良一はものを覚えられないのだ。
予告編で知ってしまったことを、中盤で出てくるサプライズにされるのは辛い。そのサプライズに頼らない上質な作品づくりができていれば、苦にならないこともあるが、こうも型どおりにされてしまうと辛抱たまらん。編集にしても撮影にしても演出にしても、どこかに気になる部分があればよかったのに。きれいなだけではいいものにならない。良一の父親を演じる泉谷しげるのせっかくの名演までもが、なにかのコンテストの規定演技のように見えてしまう。
監督の小泉徳宏は僕と同い年だ。その年齢で大手の長編をつくるなんて、どれだけ才能があるのかとため息をつきそうになる。ただ、やっぱり年齢は偽れないと思う。横丁の焼鳥をつまむのに適正年齢があるように、ステレオタイプなのに味が出るようになるには、それなりの経験が必要なのだろう。僕が言うのも変な話だけれど。前作『タイヨウのうた』は、「YUIを撮りたい!」という熱情を感じられたので、それはそれで爽やかだった。今作でも、良一のコスチューム作成のために麻子(サエコ)が体位を測るシーンは、なにかがありそうでドキッとした。なにかあって欲しかったんだけど。地震がおきて良一の乳首にかじりつくとか。
熱情という意味では、ラストのガチンコプロレスのシーンはいい。すべてのシーンがこれのための前奏でしかないとしたら、とても納得がいく。前田有一氏に「近年のプロレス映画の中でも最高峰」と言わしめた。たしかに『お父さんのバックドロップ』や『MASK DE 41』とは雲泥の差があり、韓国映画『反則王』を思い出す。リアルに蹴ったり投げられたりしているマリリン仮面(=五十嵐)を観ると、どうしても前のめりになってしまうし、目頭が熱くなる。そこまで我慢するのはちょっとしんどいが。