狂気の沙汰はどっちだ 『接吻』

閑静な住宅街で、幼い子供を含む一家3人が鈍器で殴られて殺害される事件が起こった。やがて捜査線上に浮かんだ坂口(豊川悦司)という男は、マスコミに犯行声明を送りつけ、あえてマスコミのカメラに囲まれて逮捕された。OLの遠藤(小池栄子)は、坂口のカメラを見つめた微笑に、急激に親近感を覚え、取り付かれたように彼のことを調べはじめる。公判を傍聴したあと、遠藤は弁護士の長谷川(仲村トオル)に、坂口に差し入れをしたいと申し出る。彼女は坂口を他人と思えなくなっていた。
なんとまあ。万田邦敏監督はとんでもないものをつくってしまった。
坂口は卑劣な殺人を犯した。ましてマスコミを呼びつけ、カメラに向かって微笑むとは。その不可解な狂気をマスコミは非難し、われわれ観客もまた、彼を非難する立場でしかない。
そこに、遠藤という謎の女が現れる。彼女はテレビで坂口を知っただけなのに、親類でさえかかわらない坂口を理解し、支援しようとする。観客は、やがて坂口の心を動かすか、あるいは遠藤の健気さに感銘するのかと予感する。と同時に、遠藤の胡散臭さをも嗅ぎ取る。最終的に遠藤は、観客が思うより半歩先の不可解さで狂い、むしろ坂口に一握の人間らしさを垣間見ることになる。雲行きの怪しさを観客に感じさせ、しかしそれ以上のつむじ風で奈落の底に突き落とす。監督の描写のあざとさときたら。
小池栄子の狂気の表現に驚く。ちょっと臭いところが計算づくなのかどうかは知らないが、それを含めて、遠藤という存在を完璧に形成した。スタイルのよさと当然ながら豊満な胸、それらを包む衣装の品のよさ。だからこそ怖さがずきりと胸に来る。
遠藤は、敵と味方について説く。不遇な人生を過ごしてきたという彼女は、他人とは思えぬ坂口と一緒にいることで、敵と味方がはっきりと分かれて見えるようになった。いままで自分を無視してきた人びとを、無視し返すときがきたのだと。面会でそれを静かに聴いていた坂口は、やはり黙って頷くのだが、ふたりの心は通っていただろうか。表題の接吻が意味することはなんだったのか。観客がスクリーンに語りかけても、禅問答が続くばかり。
殺人者を擁護することはまかりならないが、坂口は自ら人生を閉じる決意をした者だ。きっと遠藤に会った日から、やはり自分と同じような境遇を感じたのだろう。そして、だからこそ、遠藤がもつひめたる狂気にいち早く気づき、手を差し伸べる気持ちがあった。しかし、その思いはやがて裏切られる。そのことにも、坂口はいち早く気づいていた。そういうことなのだろう、というのは僕のちょっとした妄想である。
遠藤は28歳と名乗るから、僕と同年代ということになる。自意識から来る危険なまでの一途さには、どういうわけか同意できてしまう。それがなぜなのかは分からない。近すぎて見えない。ただ、この年代を深くえぐる作品であることだけは確かに思う。
それにしても弁護士の長谷川というのが、馬鹿なんだ。坂口にはまっすぐに職務をまっとうしようとし、もちろん遠藤にもそうなのだが、若い女の前で手元がくるう。最後の最後で彼女の本性を見抜けない馬鹿が嘆かわしい。男として、共感を込めてそう思う。