吉田拓郎で松竹のど真ん中を 『結婚しようよ』

「わたしは今日まで生きてみました/時にはだれかの力をかりて/時にはだれかにしがみついて/わたしは今日まで生きてみました/そして今 わたしは思っています/明日からも こうして生きて行くだろうと」*1
不動産屋の平凡なサラリーマン・卓(三宅裕司)は、まさにこの歌のように生きてきた。結婚するとき、夫婦で決めたルールがあった。それは、夕食は毎日、家族全員で食べること。いまや夕食は卓の生きがいだった。ある日、駅前の公園で演奏するバンドが演奏する「落葉」を口ずさんでいると、ひとりの青年(金井勇太)が卓に声をかけてきた。つい彼を自宅の夕食に招いたのだが、その日をきっかけに、家族のルールに危機が訪れることになる。
家族のなかで誰かが嫁いでいく物語は、まさに松竹のお家芸。しっとりとした人情噺もあわせて、佐々部清監督天晴れの力作になっている。
ここには大きくふたつの物語がある。ひとつは卓の物語。四畳半フォークの時代を生きてきた世代が父親になり、長女(藤澤恵麻)が嫁いでいく。大学を卒業したらすぐに結婚したいという娘の前で、自分の父親がそうであったような威厳ある父親を務めることができない。娘が出て行く寂しさと、いままで作り上げてきた家族の形がいとも簡単に壊れようとしていることへの苛立ちと、でも本当は手をあげてまで反対するようなことでもないと思う優しさとがないまぜになって、どうしたらいいか分からない。自分が結婚した歳に、娘もなったのだと友人の榊(岩城滉一)に諭されて、頭では分かっているのだけれど、じゃあいままで自分が家族にしてきたことはなんだったのか。
そんな悩める父を、次女(AYAKO)は理解していた。いちどは大学を出てもサラリーマンになることを拒んだ人だ。しかし家族のために、髪も切りそろえてネクタイも締めた。父親は、父親らしくあろうとして精一杯生きている。父親ってなんだろう。なにをすれば父親なんだろう。きっと悩みながらも懸命に家族と団欒をつくってきたであろう卓に、最後は大きなプレゼントが舞い込む。それはいまの若い世代から、戦争を知らない子供たちへの賛歌なのだった。
さて、もうひとつ、青年の物語がある。彼の名は充という。金井も顔立ちからも、満男を思い出してしまう。そう、『男はつらいよ』の博とさくらの子で、吉岡秀隆が演じた。充は震災で家族を失い、しかし蕎麦職人だった父と同じ道を歩むべく、アルバイトをしながら修行している。そのキャラクターは松竹の伝統的な青年そのもので、実はこの映画にとって、水準点のような存在なのだ。蕎麦を打つのは技術だけじゃないと厳しさと優しさをもって接する師匠(田山涼成)もいい。
だからこそ、あと5分長くてもいいから、卓と充が出会うシーンをもっと丁寧にして欲しかった。道端で絶唱するおっさんに話しかける青年というのは、若干の無理がある。いちどは吉田拓郎談義で盛り上がって、いちどは一緒に酒を酌み交わす、という展開でもよかったのではなかろうか。
吉田拓郎の楽曲が盛りだくさんだが、使い方に無理がない。駅前の公園で演奏しているのはなんとガガガSP。夕日に照らされて渋く歌い上げる様がいい。AYAKOも新鮮にカバーしていて格好いい。老若男女みんなで歌う大団円にはちょっぴり感動させられる。卓の父親が公務員だったというエピソードは、吉田拓郎から拝借したのだろう。そんな細かい部分への徹底振りがたまらない。佐々部監督がいかに映画好きであるかを知ってしまう、楽しい作品である。

*1:よしだたくろう「今日までそして明日から」