青春はブリ大根のように 『人のセックスを笑うな』

北関東のちょっとした街、開け放たれた広野の冬。美大に通うみるめ(松山ケンイチ)とえんちゃん(蒼井優)と堂本(忍成修吾)はいつもつるんで遊んでいる。ある朝方、3人が乗ったトラックはトンネルのなかで幽霊、いや幽霊のような女を目撃する。やがてそれが同じ美大リトグラフの講師・ゆりちゃん(永作博美)であることが判明。彼女の引力に吸い寄せられるみるめに、ゆりちゃんはモデルにならないかと誘う。
ここにきてベストテン候補の登場と相成った。久しぶりの井口奈己監督だが、独特のテイストはさらに洗練されたものになっていた。それはたとえば和食のような映画。素材の味を引き算の思考で引き出す。静かな定点観測にも、あらゆるシーンとの連関にも、無駄がない。クスリと笑わせる隠し味も含め、器に盛られたひとつの料理を為す。劇中のゆりちゃんにしても、みるめという新鮮な素材を見つけて、それそのものの魅力を引き出す料理をしたくなったのだろう。
数年前、とある映画祭でリメイク版『犬猫』が上映された際、そのティーチインで、監督に定点観測の意味を聞いたことがある。僕自身が分からなかったから聞いたまでだけれど、監督は、カメラを動かす意味がまだ分からないからと答えた。ちなみにその答えを聞いたとき、いけないことを聞いたかしらと思ってしまったのを覚えている。なにせコンペティションなので、背後に審査員が何人もいたのね。そして監督は賞を逃してしまう。僕のせいじゃないと思うんだけど。
あのとき監督が発したその意味が、いまになって分かったような気がする。監督は透明人間になって、スクリーンの中にいて、寄り添ったり眺めたりしている。監督は動かない。動かないひとはそんなにキョロキョロもしない。みたいものだけを見たい距離で見ている、ちゃんと地面に足をつけて。だから、カメラを動かすことに意味がない。小津のように覗く感じとはひと味違う。自転車のシーンだけカメラを軌道に乗せるのは『犬猫』と同じ。その頑固さがいい。ずっとそれでやってほしい。
登場人物もブリ大根みたいに沁みている。ひとり悶々と悩む曇天模様の青春もあれば、この作品のような大人に料理されて色をつけていく青春もある。そんなみるめとは対照的に、えんちゃんは曇天模様なんだけど。
松山ケンイチがいい。さまざまな出演作から断片を拾ってきて、きっとこんな感じだろうと想像してきた人物像が、そのままスクリーンにいた。モデルだったんだなあといまさらながらに思う。彼の体系の色っぽさをもっとも引き出した作品でもある。灯油ストーブの点火のうまさはさすが。対する蒼井優がまたよし。『花とアリス』の感想で書いたと思うけれど、彼女の顔を見ると、崎陽軒のシウマイについてくる醤油差しを思い出す。この作品ではあの顔が久しぶりに出てきた。あの感じがいい。しかしそれにとどまらず、喜怒哀楽とか感情を殺すところとか女の意地とか、いろんなものがぎっしり詰まっている。忍成修吾もその特徴的な顔立ちをメガネで抑えて、あっさりとした人物をつくっている。彼がつくるバランスがいい。
そしてそして、永作博美にはたまげる。観るのが恥ずかしいとどこかの雑誌に書いてあったけど、そりゃそうだろうな。もともとそんな人だっけと思わされる見事な演技。彼女のタバコは新鮮だけど、二十歳の禁煙派と言われるとそんな気もしてくる。いやほんとうにそうかもしれないんだけど。終盤、猪熊さん(あがた森魚)とやりとりする彼女が、みるめとのそれとまるで違う意味の小動物と化しているのがまた。ここ2、3年ほど、この人はすごいぞと言い続けている気がするけど、つねにすごさの一段上を歩いている。もう降参して笑っちゃおう。
これらを素材そのものとして調理してかかる監督の演出はすごすぎる。監督にも降参だ。
それにしてもいいなあ学生は。教官のやまんだ(温水洋一)の自由さも羨ましい。