なにかいいところはあったか 『KIDS』

そのなにもない街にアサト(小池徹平)はやってきた。タケオ(玉木宏)が彼を見つけたのは、ある食堂だった。テーブルにあった塩を超能力で手元に引き寄せていた。タケオは面白がってアサトを外に連れ出すが、そこで不良たちに絡まれる。一匹狼の荒くれ者のタケオは暴力で彼らを蹴散らす。そのときに負った傷を、アサトは超能力で自分に移動させる。タケオの傷が浅くなり、傷の半分をアサトが負うのだった。
どんな設定であっても、そこにリアリティがないと観客の共感を得られない。荻島達也監督はこの作品にどんなリアリティをもちこんだだろうか。治安が悪そうに見せてすこぶる平和そうな風景は、アメリカの荒廃した田舎町のイメージなのだろうが、セットがお粗末。とくに公園の向こう側のリアル。エンドロールを見れば分かるが、千葉県の高速道路や住宅の風景が断りもなしにスクリーンに飛び込んでくる。逞しくないと生きていけないとタケオが言うような街には見えない。あるいはエキストラが圧倒的な少ない。あの街には100人も住んでいないように感じる。衣装のレパートリーも少ない。冒頭に流れるスタンドバイミーにしても、なぜ名画の主題歌を脈絡もなく使用できるのだろう。品位を疑う。
演出にも脚本にも疑問が残る。玉木のセリフの読み方、暴力に頼らざるを得ないわりにしっかりしゃべるキャラクター、意識を失って入院中の父親の妙に整った髭。小池の偽善者的振舞いは優しさでもなんでもない。なのに映画は彼を擁護しつづける。無駄に脱ぐわりに見惚れるような容姿でもない。玉木や栗山との友情や恋愛の過程の皆無。周りは大したことない怪我のガキだらけ。子供は生傷が絶えないものだが、かすり傷程度で大騒ぎするんじゃない。その点はタケオが正しいのに、映画はやっぱりアサトを擁護する。
ストーリーの痛さは原作の仕様かもしれないが、強引な筋の転がし方があまりにパッケージ的で、正直に言って、目を覆いたくなる。これを映画と呼んではいけない。強いてあげれば、アサトが母親の収監されている刑務所を訪れるシーンは、(わざとらしさに目をつぶれば)やや面白い展開だったと思う。そのぐらいだろう。破綻している。