師走に涙の借金取り到来か

正月映画の季節がやってきた。各社、この時期に自信作を投入してくるとあって、師走は何かと忙しい。あくまで偶然とは思うが、今日公開された2作がどちらも、わが故郷・北海道を舞台にし、昭和を回想し、白血病を取り扱っている。そして、自信作らしく、観客の涙腺が危うい。そんなわけでひとくくりにしてみた。

映画人らしい潔さと脚本のよさ 『スマイル 聖夜の奇跡』

学生時代からの恋人(加藤ローサ)を追って北海道にやってきた修平(森山未來)。プロポーズするも、彼女の父親が偏屈で、結婚を承諾しない。しかしわずかな活路として条件が出た。最近監督が辞めたばかりのアイスホッケーチームを次の試合で勝たせること。しかし修平にスケートの経験はない。あるのはタップダンスの経験と、教師であるということだけだ。
陣内孝則監督の2作目になる。残念ながら前作を見ていないが、みちのく国際ミステリー映画祭で賞を取った監督のほとんどが出世していることもあり、新作を待望していたところだった。そしてその期待に違わぬ作品が出てきた。テレビ界を知り尽くした人らしいバラエティさもありながら、映画好きにして映画人らしい感覚も身につけた、心地よい作品になっている。
ウィンタースポーツといえば『シムソンズ』の記憶が蘇るが、今作はアイスホッケー。小学生とはいえ男子の世界だ。しかし昨今は女子も参加するらしく、現在のアイスホッケーをつぶさに見ている監督の視点が随所に取り込まれている。小学生の時分、しかも1987年が舞台とあっては男子はまるで子供っぽく、やることなすことおバカ続きだ。とはいえ思春期の入り口。スケートリンクを見ればフィギュアの練習をするマドンナがいるのである。
そのマドンナと、チームで唯一ちょっと大人びた少年の淡い恋がある。しかし少女は白血病に侵されており、それはまだ不治の病のころである。彼女を元気付けようと一心不乱になるメンバーたちには、うっかり心を揺さぶられる。どうやら彼らは全員演技の素人だったらしい。あそこまで演出した監督には脱帽する。
少年たちの心に火をつけたのは監督の修平だ。はじめは彼女との結婚が目的だったが、少年たちの思いに心を打たれ、彼らと一緒になって勝利に向かって邁進する。アイスホッケーの知識はほとんどないが、少年たちと同じ視点で、彼らの兄貴分として、彼らを奮い立たせていく。修平の指導には、観ている我々も興奮する。実を言うと、スクリーンのなかの少年たちがうらやましい。あんなふうにひとつのことに夢中にさせ、感動させてくれる人を、観客だって待望しているのだ。
とくに後半は試合のシーンが多くなる。映画であるにもかかわらず観客がチームを応援してしまうのには、いろいろな仕掛けがある。弱小チームのポンコツなチームメイトの奮闘もすばらしいが、監督の修平が思いつきで歌う「Little Drummer Boy」にも感動する。応援席の憎めないさまざまな面々も、よく練り上げられている。それらが一丸となって観客に訴えてくるものだから、涙腺が緩み、辛抱たまらんのである。
序盤はどうなるものかと心配する場面もあったが、終わってしまえばどうってことない。ちょっとテレビっぽさもあるが、それもどうってことない。そう言わせるだけの脚本になっている。ほかの監督なら、いろんな大人の事情や、修平と静香の結婚の様子なども盛り込むところだろうが、敢えて切った勇気がなんとも映画人らしい。回想シーンが終わって、わずかな現代のシーンもしっかり生かしている。
ところで、チョイ役の俳優がものすごく豪華だ。あるいは原田夏希の色っぽさにやられる。なお、たぶん史上もっとも、わたしの実家に近いロケ地だと思う。

役者の奮闘に引き込まれる 『Little DJ 小さな恋の物語』

1977年、函館。野球少年の太郎(神木隆之介)はひとりっ子で、毎晩ラジオの野球中継を楽しみにしている。優しい母親と仕事一辺倒の頑固な父親。どこにでもあるような風景だ。ある日太郎は鼻血を出して倒れる。医者に診てもらうと案外重病で、入院を余儀なくされる。退屈なひとり部屋。その生活を一変させたのは、院内放送を手がける大先生(原田芳雄)との出会いだった。
これを「涙のカツアゲ」と言わずに何を言おうか。三丁目の某のような上品でスマートなカツアゲでなく、もっと泥臭く攻めてくる感じだ。それというのは、映画の構造そのものが泣かせるようにできているわけでなくて、役者たち、とりわけ神木隆之介の活躍によるものである。またしても彼にやられてしまった。
とくに病状が悪化して絶対安静を言い渡されるシーンは圧巻である。彼を前にして、原田芳雄石黒賢もたじたじだ。もっとも観客はそれ以上にたじたじなのだが。そのシーンの大人たちの不甲斐なさは、演出の問題というより脚本の問題だろう。太郎とともに観客をも納得させられるような、死を目前にした人を励ます言葉が欲しかった。なぜ諦めず生き続けるのかということを、結局、太郎ひとりで導き出すほかなかったのだ。その手助けになる何かがあれば。
この作品、総じて役者の腕で魅せている。上記のような問題もあるけれど、監督に演出力はあるのではないか。松重豊は最高だ。深夜、病院の受付での神木との二人芝居は名シーンになった。あるいは佐藤重幸村川絵梨もいい存在感を見せている。西田尚美のビンタにもやられる。
ただ惜しむらくは、128分という尺が長く感じられることだと思う。あと15分短くする努力が、作品にテンポをつけ、ただ泣かせるだけでない作品に仕上がっただろう。既述のように、ところどころにいいシーンがあるのだから。雨の函館山のシーンは叙情的だと思うし、回想を経て現在に視点を移してからも、それまでの物語をしっかり受け止めたシーンが多い。とくに小林克也が登場するあたりから、もうひと山の面白さがあった。
この作品がラジオそのものの魅力をどれだけ引き出したかといえば、かなり疑問があるにせよ、やっぱりラジオって面白いよなあと改めて思った。そしていまもラジオをつけながら書いているわけだが。僕は多分、エアチェックを知っている最後の世代だろう。とくに中学の時分、作中の太郎と同じぐらいのころは、大量のカセットテープを用意していたものだ。録音した番組を楽曲のところだけダビングして、少しずつためて、アルバムにした。NHK-FMが一番編集しやすいんだよね。
ところで太郎が大好きだったラジオ番組はラジオ日本のものという設定になっている。フィクションに対してこんなことを根掘り葉掘りするのは野暮ったいが、当時そのような名称の放送局がなかっただけでなく、ラジオ関東制作の番組が函館で流れていたのかどうか不明である。蛇足がすぎましたか。