肉体と哲学ですべてつながっている 『一万年、後・・・・。』

男(阿藤快)は、次元を飛び越えて、1万年後の世界にやってきた。昭和風の日本家屋に出現した彼は、1万年後にもいろいろなものが残っているものだと実感するが、もはやその土地は日本でなく、アメリカもない。建物の外は危険な世界だ。ときどき電波の障害で、さまざまな音や映像が登場する。その世界で出会った少年・正一(田村勇馬)に、1万年前について、自らの人生について語りはじめる。
先日も書いたが、完全に問題作。なんだこれは。理解の範疇を飛び越えて圧倒された。
意味不明なのではない。少年たちは男の存在に驚かず、すべてが了解済みの状態からはじまる。そもそも一万年後とはなにか。未来ではないのではないか。近代か、近代のアンチテーゼか、ポストモダンか。そのすべてともいえないだろうか。ひとつひとつにつながりがないように見えて、沖島勲の肉体と哲学ですべてつながっている。渾然一体の世界。つまりそれは、母胎なのではないか。
完全セット撮影。舞台芝居にあって舞台芝居にあらず。それは映画でしかない。今年観たどれより破壊力が大きく、映画の多くの部分を見せつけている。ラストのゴンドラの唄がわれわれに直撃する。観客が試された作品である。