新しい青春映画 『恋するマドリ』

同居人の姉が突然の結婚で去ってしまい、引越しを余儀なくされた結(新垣結衣)。新しいアパートには、個性的な人びとが住まっている。なかでも真上に住んでいる大野(松田龍平)はちょっといい男だが、愛想がなさすぎる。あるとき、以前の住まいに忘れ物をしたことを思い出し訪れると、その部屋には温子(菊地凛子)という女性がいて、やがて彼女と仲良くなる。驚いたことに、温子は大野の元カノで、大野の部屋の真下に住んでいた。つまり、結の部屋の前の住人だったのだ。
結は学生という設定だ。学生を主人公にした青春映画というと、この10年の間では、ある流れがあったように思う。ちょうど『檸檬のころ』の感想で、僕がこんなふうに書いている感じだ。

あんな素敵な高校生活を送ったのちに、きっと彼女たちは『四月物語』のような初々しい春を迎え、『きょうのできごと』のような日々を送り、場合によれば『気球クラブ、その後』のような延長戦を経るのだろう。

初めての街、初めてのひとり暮らし、大学という未知の存在に戸惑うことからはじまり、やがて先輩や後輩や恋人に恵まれ、24時間を持て余すように暮らす。そして就職。しかし就職そのものに夢とか希望とかはあまり持っていない。『ジョゼと虎と魚たち』もその範疇にあると思う。
ところが、この作品の結は、その流れからすると異質なのだ。そもそも新入生ではないし、大学に通うシーンは1度しかない。暇なときにつるむ仲間がいるでもなし、淡々としていてドライ。ちょっと自分の殻に閉じこもっているような感じもある。それを頑固という人もいるだろう。かつて僕や僕の少し下の世代を発光ダイオードに例えた人がいるそうだ。つまり与えられたときだけがんばって、あとはなにもしないのだと。結もそれに近い。
このタイプはちょっととっつきにくい。大学の教官の立場からすれば、やるべきことはやっているけれど、まるで熱さを感じられず、どう付き合っていいか分からないはずだ。そしてなにより、映画の題材として扱いづらいに違いない。能面の新垣結衣にはあまりに打ってつけの役柄だが、結がペースを崩さない前半は退屈だった。
しかし後半の印象は大きく異なる。温子という、姉以上に大きく包み込んでくれる存在ができ、大野のことが気になりだしてから、結に熱さが出てくる。はじめは自分のために、そして最後は大野と温子のために。走るし、叫ぶし、助けを請う。結を取り巻く人びとは、その熱さを喜ぶかのように、彼女を手助けする。世界は熱さを中心に回る。"世界はこんなに熱いんだ"。
作品としては、ところどころ粗さと強引さがあり、編集もいまいちなのだが、新しい青春映画を提示したことの大きさを述べたい。
さて。監督が役者各人にどんな演出を施したのかよく分からないが、あまり細かい指導がなかったのではないか。新垣結衣はもっといろんな表現ができるはずだし、松田龍平ももっとキャラクターについてはっきりとしていたほうがよかった。それに内海桂子というキャスティングはすばらしいのに、もうひとつ使い切れていない。『大阪物語』のミヤコ蝶々のような存在を期待していたのだが。
そんななか、菊地凛子がずば抜けていい。前半、彼女が出ているシーンはことさらホッとして観られた。きっとこの人、どんな役柄でもいける。女講談師の映画を撮る人が出ないものだろうか。ものすごく観たい。
(追記)うっかり書きそびれるところだったが、作中で木材や森林の話がぽろぽろと出てくる。というのも大野の職業が森林化学研究員なのだ。スギの話が中心で、材木市場のシーンもあるし、台詞にもよく調べた痕跡が見られる。退屈だったなんていいながら、案外違う方面で興奮していた。