スクリーンがくれた夏休み 『天然コケッコー』

山陰の農村、小学校と中学校は同じ建物で、全校生徒はたった6人。右田そよ(夏帆)はいちばん年上の中学2年、でも同級生はいない。ある日、東京から転校生がやってきた。大沢君(岡田将生)はそよの初めての同級生にして、「イケメンさん」だ。都会的な大沢君はそよと"遊ぼう"と思うが、田舎育ちの子供っぽいそよは、大沢君とうまく接することができずにいる。しかし時が流れるにつれ、そよは少しずつ大沢君に恋心を抱くようになる。大沢君の生まれ育った街が見たいというそよのリクエストの甲斐あってか、生徒ふたりだけの修学旅行先が東京に決まる。
山下敦弘がふたたび山陰で映画を撮った。『リアリズムの宿』以来だと思うが、今回は、前作で奇異の対象だった地元の人びとが主役である。山あり海あり田んぼありの農村は陽の光を浴びてきらきらと輝いている。6人の方言丸出しの子供たちもひとりひとりがきらきらとかわいらしい。大沢君というアクセントが余計にそれを際立たせる。
子供たちが、とても子供らしいのが印象的だ。東京という狩猟文化は子供たちに処世術を学ばせるが、そよの住む農耕文化の集落は、誰も彼らを大人にしない。いつか誰だって大人になるし、大人になる時期はひとりひとり違っていい。大丈夫、彼らにはこの村があるのだから。「行って帰ります」。子供たちが家を出るとき、そこに帰ることをあらかじめ約束した言葉が交わされる。
作品はいかにも山下作品というテンポで進む。都会を舞台にすればそれは気だるさに変わるが、農村では時として単調あるいは冗長に見えもする。しかし考えてみれば、医者もいないような農村でそうそう大事件が起きるでもなし、まして子供たちにとっては、長い一日を持て余す日々なのである。見方を変えれば、そよが訪れた大沢君の家に通販雑誌があったり、1つ年下の友達にからかわれてそよが独りぼっちにされて泣いたりしたことは、じゅうぶん事件に値する。
大人はその時間の流れをすっかり忘れてしまったのだろう。しかし山下監督はそれを余すことなくスクリーンに映し出した。おっとりしていて子供っぽくて不器用なそよは、成長してもそのまんま。ラストにちょっとだけ映る高校生になったそよも、なんだかボーっとしている。それでいいんだ。この作品を観ているほんのつかの間、僕たちは夏休みを過ごすことができる。もっと書き足りないことがいっぱいあるけれど、とにかく、山下映画の最高作だということだ。