馬鹿馬鹿しい戦争の姿を証言 『陸に上った軍艦』

脚本家・新藤兼人は32歳で戦争に召集された。当時、脚本家として花開こうとしており、また妻を亡くした直後だった。絶望とともに海軍に入隊した新藤をはじめ100人の兵隊の任務は、予科練の日常の世話だった。新藤は1度も海に出ていない。南方に出兵した仲間は全員が死んだ。くじ引きでたまたま残されたのは、6人しかいなかった。彼らは、およそ戦争で勝てるとは思えない海軍式の訓練(=懲罰)で地獄の日々を送ることになる。
この作品は新藤が終戦後に執筆した同名の脚本を元に、新藤自らが証言者として登場するドキュメンタリーであり、新藤たちを再現したドラマでもある。しかし、涙を誘うような演出があるわけではなく、そのとき起こった事実(と証言する内容)をそのまま映像化している。そのドラマ部分の演出は、カットや編集なども含めて、ドラマ単体でも成立しうる品質を持っている。蟹江一平をはじめとする出演陣のリアリティある芝居も見ものだ。
ただ、芝居を観る作品ではない。新藤の証言そのものに重みがあるのだ。戦争を美化するのは自由だけれど、美化できる戦争は、エリートのそれなんだということが分かる。当然、軍隊には格差があり、召集されて入隊した、しかも若くない新藤たちは極めて下等兵だ。『私は貝になりたい』もそうだったけれど、現場の人間がいちばん嫌な思いをしているのはたしかだ。
上官の拷問は、端から見れば落語のような馬鹿馬鹿しさに満ちている。戦争に限らず、なにか組織が駄目になっていくときに起こりがちな雰囲気がある。でも、発言は許されない。ただ殴られながら、いつか南方に出兵して死ぬことだけを考えている。
なのに、これは反戦映画にはなり得ない。誰もアメリカと戦っていないからだ。新藤は言う。仲間のなかには、これは海軍との戦争なんだと漏らす者さえいたと。今年の8月は、ただただ愚かなこれら兵隊たちを思ってみるといいのではないか。