意外にも家の映画 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』

携帯電話が全域で県外という山間の村。炭焼きを営む和合家の主とその妻(正確には後妻)がトラックに撥ねられて死んだ。残されたのは、後妻の子の長男・宍道永瀬正敏)、その新妻の待子(永作博美)、前妻の子の次女・清深(佐津川愛美)、それから多額の借金。もうひとり、東京で鳴かず飛ばずの女優活動をしている長女・澄伽(佐藤江梨子)がいた。果たして久々に帰郷した彼女だが、仕送りが止まるという兄をなかなか説得できず、また東京でうまくいかないことを妹のせいにして八つ当たりする。澄伽は自分が活躍できないのは周囲がその才能を認めないからだと信じて疑わない。
実はあまり期待していなかった。ただ、面白くなくてもいいから、それはそれでなにかのお勉強と思えばよかろうと、そのぐらいの気持ちだった。予告編を見る限りでは、僕の趣味とまったく合わないと思ったのだ。ところが、なかなか面白いじゃないか。
あんなに落ち着いた作品に仕上がっているとは思いもよらなかった。どこかの映画評で、カンヌでは新しい視点の日本映画が受けているということが書かれてあったけれど、なるほど以前カンヌに出品された『茶の味』のテイストに似ている。ぶっ飛んだ内容ではあるが、家族だからこそ持ち得る泣くに泣けない事情や、歪みにはリアリティもある。漫画や念力といった要素を絡めながらも、実は日本映画の系譜のなかにしっかと存在している。
視点を「家」に固定したのがいい。たとえば澄伽の東京生活(ちょっとだけ登場するが)や、澄伽と清深の学生時代など、見せられる部分はいくらでもあったと思うけれど、それらを排除して、ひとつの家屋で起こる出来事の描写に徹したことで、より映画らしさが増している。食卓のシーンがいくつかあり、そのひとつひとつが家族の微妙な関係を映す鏡になっている点も、いかにも映画らしい。
ところでキャストだが、主演には佐藤江梨子しか考えられないほどの迫力があった。さらに、永作博美がすごい。狂気の演技だ。吉田大八監督とは今まで聞いたことがない人物だけれど、演出力はかなりのもの。次回作も期待できる。