森の国、森の映画 『殯の森』

山間部にある老人ホーム。新任の真千子(尾野真千子)は幼いわが子を亡くしたばかり。仕事をする姿も硬く、なんとなく影がさしている。そのホームで暮らすしげき(うだしげき)は、はじめはなかなか真千子を受け入れなかったが、徐々に心を開き、真千子も明るさを取り戻す。ある日、ふたりはしげきの妻・真子の墓参りに出かける。
奈良の風景が好きだ。高校生の時分、吉野に出かけた。桜の名所で知られる当地だが、秋だったために土産屋もふたつみっつが開いているだけで、閑散としていた。しかし、整然とした杉林に圧倒された。茶色くなりかけた桜の葉と、濃厚な緑の杉、そのなかでわずかに竹林が涼しい緑を与えている。それらさまざまな緑色が、稲穂の黄金色とがっぷり四つになる。道産子の僕がどうしてこの風景を懐かしいと思ったのか、学生のころにずっと考えていた。
河瀬作品を観るのは『萌の朱雀』以来だから、もう何年ぶりになるか。彼女の撮る奈良の山々は相変わらず美しい。奈良を撮らせて右に出るものはいないだろう。緑のコントラスト、稲穂。その景色のなか、白い日傘の葬列が通り過ぎる。あるいは木造家屋のホーム、茶畑。前半はそれらで観客を魅了し、同時に真千子としげきのこれまでといまを表現する。圧倒的なのは茶畑のなかでふたりが追いかけっこをするシーン。山から引きで撮ったふたりが本当に活き活きとしている。
後半は様子が変化する。ドライブのつもりが脱輪してしまい、しげきが山中に脱走する。一晩中かけた追いかけっこをするふたり。厳しさも優しさももつ森のなかで、しげきは死を、真千子は生を見つけることになる。そのとき、冒頭の葬列、あるいは僧侶の説法と接合され、すべてが一体となる。その過程がなんとなく仏教っぽい。山中の長回しは異様に長く、修行のようだ。もう少しコンパクトにしてもよさそうなものだが、そもそも本編が97分しかないので、そこはご愛嬌か。
全体を通して、実に無駄のないつくりになっている。そして高い美意識が印象的だ。もうひとつだけ贅沢を言えば、とくに後半は手持ちカメラがかなり揺れる。体調の悪い日だったら酔っていたかもしれない。