長く緩やかな坂を上るように 『サイドカーに犬』

薫(松本花奈ミムラ)が自転車に乗れるようになったのは、小学4年の夏休み。そう、母親が家に帰らなくなって、ある日、ヨーコさん(竹内結子)がやってきて、そのヨーコさんが乗り方を教えてくれたのだった。ヨーコさんは母親とはぜんぜん違った。きちんとしていなかった。そして、薫にないものをたくさん持っていた。薫は、ヨーコさんの「大人の夏休み」に付き合うことになった。
なんだか、じわじわと効いてくる。例えて言うなら、長い長い緩やかな坂道をゆっくり歩いて、ずいぶんきたところで振り返ってみたら、想いのほか高いところまでやってきていた感じだ。ずっとおなじペースで、余所見もしないで、前に出た足をちょっとだけ高く突き出すのだ。前作『雪に願うこと』もそうだったけれど、根岸吉太郎監督は、人々のあまり器用でない生き方を、美化することも卑下することもなしに、静かに見つめていく。エンドロールが始まって、そこに監督の優しさがあったことに、ようやく気づかされる。
ストーリーは、薫とヨーコの交流を中心にして描かれる。薫は、父親を反面教師にしたような、いや、この父親とどうして一緒になったのか分からないきっちりとした母親に育てられた、"いい子"だ。反面、ヨーコは破天荒だ。とはいえ、それは薫の視点からいえば、の話であって、頼り甲斐のある姉さんの枠をはみ出さない。とことん破綻した性格の女性として描くことだってできたはずだけれど、世間からそう遠いところにいない存在にしたあたりが、ちょっと嬉しい。
そんなヨーコと知り合い、仲良くなっていくことで、薫はちょっぴりかわる。すこしだけ大人になったけれど、まだまだ子供だ。お利口さんでいたのは、父親と母親と一緒にいたかったからだった。両親が離婚した日、薫は父親に甘えてみせた。そのとき父親が見せたさびしそうな表情がなんともいえない。ヨーコさんも去っていった。自転車で、振り返らずに、向こうの緩やかなカーブをひょいといったら、消えてなくなった。ヨーコさんなんてほんとにいたのかなっていうぐらいに、ひょいっと。
これは薫の映画だ。夏の日の夕暮れのちょっと前みたいな、時間がこれより先に進まなきゃいいのにと思わせるいい作品だった。YUIの主題歌はとてもいい雰囲気。出演陣は誰もみなすばらしいけれど、松本花奈には感動するばかりだ。