犬童美学の作品 『眉山』

咲子(松嶋菜々子)は、徳島で母・龍子(宮本信子)の手ひとつで育てられた。なぜ父がいないのか、東京で生まれ育った母がなぜ徳島で、身寄りのない生活を送っているのか。江戸っ子気質で過去と決別して生きる龍子は、咲子に多くを語らなかった。その母が癌で倒れた。それでも気丈な態度を崩さない母に反発する咲子であったが、肩身として娘に託した父親の手紙と、幼いころのおぼろげな記憶が、母の力強い生き方を思い遺させ、反発心が氷解していく。
これはすごい作品だと思った。犬童一心監督の作品なら何本も観てきたけれど、最高の出来映えではないだろうか。カットの構図(キャンパスの作り方)、編集、撮影。とにかく無駄がないし、美しく、力強い。徳島の街は、眉山全景をはじめとして、その山頂、ロープウェイから見る景色、吉野川とその支流、橋、病院の緑地、十郎兵衛屋敷、そして阿波踊りの風景と、その美しさは枚挙に暇がない。それを余すことなく捉え、作品のスケールを十分に大きくしている。
美しさという点では、私がそうと感じる理想的な部分とこの作品とで、かなり一致している。真正面から捉えるのとちょっと違う、その「ちょっと」のセンスであったり、映像と音声をちょっとずらして場面転換する、その「ちょっと」のセンスであったりが、絶妙なのだ。無論、それぞれのカットの順番にしても同じ。毎年数十本と映画を観ていても、ここまで私とスクリーンががっぷり四つになれる作品は、年に1本も見つからない。
しかし、私自身の問題として、上記のような美しさに見惚れた作品については、ストーリーの細かい部分に頓着しない性質がある。これは以前から薄々気づいてもいて、たったひとつでもはっとする美しいシーンがあると、それまでの瑣末事を一切追いやってもいい気分になれる。
今作についてもそう、もちろん大枠でのストーリーに納得して、クライマックスではグッとくるものもあったのだけれど、細かいことで印象に残っている部分が、意外と少ない。気にしていないというほうが正しいかもしれない。ただし気になっているのは、良くも悪しくもこの作品が、松嶋菜々子の大立ち回りで展開しているということだ。そのことが、なおいっそう、ストーリーへの言及を少なくさせている。
松嶋菜々子については賛否両論あるものと思う。私からすれば、これが東宝なんだという印象である。もしこの作品が松竹であれば、主演を別の大物に差し替えただろう(松たか子で観てみたかった)。これは批判ではない。良くも悪しくも東宝らしいというだけのことだ。
付け足しのようになってしまうが、宮本信子山田辰夫夏八木勲といったベテラン勢がたいへんよかった。とはいえ、あくまでこの作品は、キャストではなく、監督とスタッフで引っ張ってきたものである。その意味において、数年来の傑作になっていると思う。