はっちゃんはタナダ監督に救われる 『赤い文化住宅の初子』

宇野初子(東亜優)、中学3年生。父親は幼いころに蒸発し、母親に死なれ、いまは兄(塩谷瞬)とふたり暮らし。兄は高校を中退し工場で働くが、満足な金が手に入らないばかりか、外で酒を飲んで帰ってきたり、女を買ったりで、初子のやりくりは苦労が耐えない。そんな初子も、学校に黙ってはじめたバイトをクビになる。実は初子には、勉強を教えてくれるクラスメート・三島君(佐野和真)の存在があった。三島君はいつでも初子に優しい。でも、同じ高校に通うお金がない。そしてそれを言い出せないのだった。
少女残酷物語は世の中に数多あれど、久しぶりの名作誕生を目撃したと思う。貧乏少女界に新ヒロインが現れた。なお死んだ母親から「はっこ」と呼ばれた初子だが、ここでは哀歓をこめて「はっちゃん」で通させてていただたい。人生の転落を描く作品が多いなかで、今作の場合、(もちろんかつて転落したのだが)そもそも貧乏であることからすべてがはじまったとしか思えない雰囲気がある。ファンタジーかというぐらいに貧しいが、白飯に水をかけただけの食事とか、具のないインスタントラーメンとか、リアリティがあってグッとくる。そして、はっちゃんの貧乏振りはあまりにも地に足がつきすぎている。
はっちゃんは偉い。電気を止められるぐらい貧乏なのに、ぐれもせず、誰も恨まず、鈍臭くて、際立つ不幸がついてまわる。ご愛嬌程度のひねくれた感じが、また健気さのリアリティを強調し、止めを刺すのは、不幸の種のひとつである兄をそれでも信頼し、「おにーちゃん」と呼び続けることである。ひとり妹のいる我が身としては、身につまされることこの上ない(萌えではない)。徐々にスクリーンに夢中になり、心のなかで「がんばれはっちゃん、はっちゃーん」と叫び続けるしかないのだ。全世界のはっちゃんを応援する皆を代表して抱きしめてあげたいほどだ(重ねて言うが萌えではない)。
そんなはっちゃんにもひと束の希望がある。三島君だ。彼はひたすらまっすぐにはっちゃんのことが好きで、はっちゃんも本当は三島君のことが好きなのに、はっちゃんは身の程を覚えてそれを言い出せない。やがて離れ離れになってしまうふたりだが、ここで希望のひと束を捨てることはない。ついにはっちゃんは言うのだ。おとなになったら、結婚しようねと。
もっとも大人のわれわれからすれば、「んなわけないじゃないか」といってみたくなるような希望であって、はっちゃんにもその自覚があったのではないかと推測している。でも、ほとんどファンタジーのような三島君の存在を、映画は否定しない。タナダユキ監督は、はっちゃんを寸でのところで救って見せたのだ。
今作の監督はとてもいい仕事をしている。映画らしい淡々として流れのなかにも、人びとの喜怒哀楽を織り交ぜ、とくに後半の抑揚のついた展開は面白い。ラスト、キスシーンで暗転させたのは、監督のやさしさによるものと信じている。
東亜優をはじめ、出演陣がとてもよい。なかでも後半に多く登場する大杉漣。またもや彼の熱演に釘付けとなってしまった。