圧巻のピアノ演奏 『神童』

うた(成海璃子)は、言葉を覚えるより早く譜面を読め、ピアノが弾けた。天才だ。しかし父亡き後邸宅を追われ、ピアノも抵当に入れられたため、小さなアパートで英才教育の缶詰にされている。思春期の故か、母親には反抗的で、ピアノを弾く気になれない。しかしひょんなきっかけで、音大受験生の凡才・和音(松山ケンイチ)と出会い、彼の住む八百屋という落ち着ける空間を見つける。あるとき海外からやってきた大物ピアニストに才能を認められたうたは、彼にとんでもない依頼をされてしまう。
あらすじをどこまで書けばいいのか非常に迷った。エッセンスはたくさんあるので、あれもこれもとついつい書きたくなってしまう。ふだんメモ帳2ページほどで済んでしまう走り書きが、今作は5ページにもなった。まず、それら大量の要素を、台詞に頼ることなく大いに膨らませてくれた、脚本の向井康介を称えないといけない。感動的なシーンはあるけれど、決して涙に頼らなかったあたりも彼らしく、またうれしい限り。前半の「アリとムカデの話」は素晴らしい小道具だ。
しかし、本編が終わってしまうと、寝ていたわけでもないのに、内容がほとんど印象に残っていない。記憶というもの、どこかに必ずきっかけがあり、それを基点にして繋げていくようになっている。今作には、その基点が見当たらないのだ。なんとなくぼやけている。タイトルのとおり、うたのストーリーであることは明白なのに、実は和音が主役なのではと疑うような場面が散見される。
あるいは監督が、どの視点で登場人物を見つめているのか、ちょっと分かりかねる。スクリーンとの対話をはぐらかされている感じがする。あるいは音楽の使い方にも首を傾げる。いい楽曲が多いのだが、クラシックとの調和に疑問がある。演奏の録音は素晴らしいのに、台詞の録音はそうでもなかったり。名画になり損ねてやしないか。
さて、実はこう見えて、成海璃子の芝居を見るのはまったくの初めて。すごい役者だ。ほんとに14歳なのか。いちばん不安定でいちばん魅力的な時期に、こんなに安定してずば抜けた技術を見せられるとは、同じ年代のころで比べれば、蒼井優宮崎あおいを超えている。
ただし、諸手をあげて絶賛する気になれないのも正直なところ。彼女がもつリズムと、ほかの役者たちのそれとが、もうひとつ調和しているように見えてこない。もしこれが天才と凡才を分けるための演出だとしたら感激してもいいけれど。これは予感でしかないけれど、実はかなり使いにくい役者ではないか。今回のキャスティングなら、いろいろ考えた挙句に彼女に落ち着くに違いないのだけれど、はまり役を探すのに苦労しそうな気がする。
とはいえ、この作品においてはうまくいっている。しびれるのは演奏会のシーン。ほとんどのシーンでピアノ演奏用の代役をおいているのだが、なんと大事なシーンで彼女自身がピアノを弾いているのだ。かつて『害虫』で宮崎あおいが「冬景色」を演奏したことがあったが、そのレベルを超えている。あのシーンの緊迫感と興奮は、『反則王』でソン・ガンホが繰り広げる死闘にも似て、ああやっぱりこの子はすごいんだと認識させられてしまうのだった。