意外にも犬童映画の真骨頂 『黄色い涙』

僕の頭の中で犬童一心といえば、いつまでも『大阪物語』である。もっともあの作品では脚本の担当だったのだけれど、その後、彼がやはり池脇千鶴を主演にして長編を撮ったということで(『金髪の草原』)、記憶が決定的となった。そして『ジョゼと虎と魚たち』。これほど印象のいい監督はいない。
なのに、犬童映画というのがどんなものかと問われると、実は答えに窮する。独特のふんわりとした重厚感がありながら、しかし『タッチ』のような軽快な作品をもつくってしまう。ちょっと捉えどころのない印象があった。今作の場合、どちらかというと『タッチ』的な作品に仕上がるものと思っていたので、すこし斜に構えた態度でスクリーンと睨めっこしてみた。わざわざグローブ座で。
おかげで感想を書くのに1週間もかかってしまった。というのは嘘で、ただ仕事が忙しかっただけだ。実は僕の予想は完全に外れ、『ジョゼ―』『メゾン・ド・ヒミコ』に通ずる大作に仕上がっていた。それゆえ、どうにも消化不良のまま劇場を後にせざるを得なくなってしまっていた。
昭和38年、栄介(二宮和也)は阿佐ヶ谷で漫画を描いていた。そして同時期、志を同じくした友人たちがいて、彼らがそれぞれのひょんなことから栄介の部屋に住み込むこととなった。「芸術家の卵」を自称して、各々の作品製作に打ち込む合宿のような共同生活を送るが、彼らが卵から出てくることは、なかった。
いまにして思えば、ようやく僕自身が"犬童映画"にたどり着いた気がする。なあんだ、小津安二郎っぽいんだ。技法ではなくて、ものの考え方のようなものが。ハッピーエンドでもその逆でもなく、ひとつの終わりとはじまりを見つめている。それも、自らの眼をカメラに代えて。犬童作品の常連、蔦井孝洋の確かな技術がそれをよく映像化しているというわけだ。
ところで、役者陣の奮闘もなかなかだ。主役の二宮もいいのだが、印象深いのは相葉雅紀だ。もっとも昭和のにおいが強く出ていた。それから、マドンナは時枝ちゃん(香椎由宇)なのだが、忘れてはならないのが田畑智子。この人の艶っぽさが僕は好きだ(同い年なのかあ)。さらにひとり、志賀廣太郎。小津という言葉を出したついでに、言ってみれば笠智衆の役割を彼が負っている。先ほど思い出したのだが、何年も前に青年団の舞台を見たとき、出演している。当時は名前も何も知らなかったけれど。縁は異なもの、ということだろうか。