ひだまりのなかの傑作 『檸檬のころ』

高校3年。加代子(榮倉奈々)は東京の大学に進学することに決めていた。東京に行ってみたかった。ブラスバンドの指揮者として野球部の最後の試合を見届けたある日、エースの富蔵(柄本佑)から告白を受ける。はじめはぎこちなくも徐々に打ち解けてゆくふたりは、しかしやがて、お互いの進路により離れ離れになることを自覚し、擦れ違う。一方、クラスメートの恵(谷村美月)は音楽ライターを目指していた。ヘッドホンで音楽を聴きながら、たいていいつもひとりで過ごしていたのだが、実はクラスの辻本(林直次郎)と趣味が同じだと知り、ふたりは親密になっていく。ある日、辻本から自身のバンドのために作詞を依頼されるが、ライターの卵として、ちょうど自信を失いかけていたときだった。
僕自身のことを書けば、中学にしろ高校にしろ、思い出すような甘美なことも苦痛なこともなかった。ただ、高校卒業後の短い間、受験ノイローゼみたいになったことがある。希望していた大学に落っこちて、滑り止めしか残らず、そこに行きたくなくて廃人になっていた。その大学にしぶしぶ通うことにしてからも、大学院で別の場所に行ってやろうとしか考えていなかった。
ところが、結局のところ、大学院を含めた6年間を、その大学でみっちり過ごしてしまった。そしてそのことになんの後悔もない。田園都市のもつゆったりとした空気と柔らかに日差しと、凛とした冬の寒さが、そしてそこに集った面々が、僕がその場所で羽を伸ばすことを許してくれたからなのだと思う。
この作品に登場する高校生たちが、僕にはあまりに羨ましい。本人にしてみれば悶々とした、曇り空の毎日に違いないのだけれど、とにかくさわやかで、とにかく輝いている。悔いのひとつもない。あんな素敵な高校生活を送ったのちに、きっと彼女たちは『四月物語』のような初々しい春を迎え、『きょうのできごと』のような日々を送り、場合によれば『気球クラブ、その後』のような延長戦を経るのだろう。めげてもくじけてもいいけど、誰にも負けない思い出があることを胸に、素直で心豊かな大人になってほしい。...フィクションだけど。
僕にこれだけ語らせる作品もそうはない。すべての登場人物にすばらしい見せ場をつくり、表現がぶれることなく、すべてがきれいに連関し、バランスが取れている。そして彼らを陽だまりがやさしく包み込んでいる。青春映画の教科書といってもいいのではないか。キャスティング、演出、撮影、照明、音楽、編集。それらが同じテンポでひとつになっている。去年『雪に願うこと』に見た映画力を感じる。
すべてのキャストがいいのだけれど、強いて幾人かあげるならば、谷村美月石田法嗣だ。このふたり、代表作がいつまでたっても『カナリア』のままだった気がする。あれだけの才能がありながら、ずいぶんもったいないと思ってきたのだけれど、ついに新しい名刺ができたといったところだろう。もっともこのふたりの絡みはない。それからもうひとり、恵(谷村)を大きな包容力で見つめる父親、大地康雄を絶賛したい。『恋するトマト』以来、この人、のってます。