ホリキタ! 『アルゼンチンババア』

待っていた。みつこ(堀北真希)は待っていた。母親が死んだときからどこかへ行ってしまった父さん(役所広司)が、ただいまと言って、冷蔵庫に冷やしてあるビールをぐいと飲み干すのを。でも、いつまで経っても戻ってこない。そればかりではない。近所にある怪しい洋館で、アルゼンチンババアなる怪しい女(鈴木京香)とできていたのだ。みつこの果敢なる父親奪還作戦が始まった。
ときどき目頭の熱くなるシーンがあった。母親が瀕死になって治療を受けるシーン。冒頭にもかかわらず撮影のうまさにぐっときてしまった。と思ったら、『茶の味』の松島孝助ではないか。さらに、音楽もなかなかいいのだ。と思ったら、『東京マリーゴールド』の周防義和ではないか。撮影、音楽に加えて照明のいい作品だ。
なのに、脚本というべきか演出というべきか、シーンひとつひとつは粒よりなのに、総合的に揃っていない。どこといわれればうまく言えないけれど、アンバランスな感じがして、もうひとつ作品の世界を生かせていない。
まあでも、そんなことは些細なことだ。この作品で注目すべきは、堀北真希ただひとりなのだから。この作品の目撃者は、すべからくホリキタに感情移入してしまう。ホリキタが怒ればわれわれも怒り、ホリキタが泣けばわれわれも泣く。
たとえば墓石を積んだトラックを背に、父娘が語るシーンでは、ジブリ作品のヒロインのように泣きじゃくる。そして「今年も(中略)来年もその先もずっと(イルカを見に)きたかったな」という父に対して、ただこくりと頷く。あるいはタンゴを踊る初々しくも凛とした姿、アルバイト先のマッサージ質の照明を見上げる色っぽさなど、ひとつひとつが作品にまっすぐ向かっていて、真摯な印象を受けるのだ。『東京物語』の香川京子や、『男はつらいよ』の倍賞千恵子を髣髴とさせる。
この数年、さまざまな才能ある女性たちを観てきたが、彼女はほかの誰ともタイプが違って見える。感性の人ではない。もっと泥臭く、勉強して培った能力の持ち主ではないか。天才のことはわからないけれど、そうでない人の場合、素直でなければ成長しない。要領はいいほうが楽に生きられるけれど、よさが返って成長の妨げになることもある。それから、自分を俯瞰して見られることも大事だ。それができないなら、よきアドバイスをくれる先輩をもつことが肝要である。彼女は、まさにこのタイプではないか。
どうか、あまり仕事を選ぶことなく、いろいろなことに挑戦していっていただきたい。そのいくつかは絶賛されるに違いないし、のちのちとても大きな仕事を背負う逸材になってくれると思う。清々しい役者だ。