緻密な脚本に前のめり 『それでもボクはやってない』

フリーターの徹平(加瀬亮)は、就職活動の途中で痴漢の現行犯逮捕をされてしまう。無実を訴えるが、保釈や不起訴はおろか、起訴され裁判にかけられてしまう。警察署を出るまでに4ヶ月、さらに1審の判決が下るまで8ヶ月の時間が要され、本人ばかりでなく、周囲の多くの人々の大きな負担となっていく。しかし母親や友人たち、担当弁護士(役所広司瀬戸朝香)の協力により、冤罪の証明が徐々に進んでいく。
周防正行監督の11年ぶりの作品。構想3年。監督が見た我が国の裁判制度は、よほど疑問の残るものだったに違いない。自らの意思によって、なんとも後味の悪い作品として仕上がっている。本編が進むにつれ、その結末がある程度予想できるようになる。実は、展開そのものにはさほど驚くことはない。しかし驚きが必要な作品ではない。ある貫いた感覚を表現するためにつくられ、その中でただひとつの自然な結末に向かって進んでいく。
裁判官が冤罪を認定することは、警察と検察を否定するもので、国家に喧嘩を売るようなもの。よほどの証拠と勇気が必要であると、作品は訴える。簡単に罪を自白すれば示談でさっさと社会復帰でき、潔白を主張すれば長くてつらい裁判が待っている。無罪になる可能性は低い。無罪を証明できない者は有罪か、有罪を証明できない者は無罪か。事件は法廷で起こらない。監督は、真実を明らかにすることが裁判の務めでないという結論を導き出している。
制度の解釈からその表現、言い回し、判決文、さまざまな立場の者のさまざまな心理など、脚本は本当に緻密で、かつ分かりやすい。もちろんひとつの映画として、人間関係の描写やテンポもすばらしい。こんなに込み入ったストーリーなのに、ひとりひとりに分け隔てなくスポットライトを当ててくるのがすごい。それだけ完全につくられたものがあるからこそ、キャストもしっくりはまったのだと思う。緊迫したドラマに、思わず前のめりになる自分がいた。