青春は遠きにありて思うもの 『気球クラブ、その後』

気球クラブは、短い間だったが、存在した。主催する村上(長谷川朝晴)は、おんぼろの家屋で、恋人の美津子(永作博美)と暮らしていた。クラブがなんとなくなくなりかけていたころ、村上が死んだ。いまだらだらとつながっている二郎(深水元基)やみどり(川村ゆきえ)のような、村上とは浅い付き合いのものもいたが、皆が集まり、5年ぶりの宴会をはじめる。
園子温監督の作品は2度目となる。ほんとうはあと1作ぐらいなにか観てから監督について書くべきところなのだけれど、前回『紀子の食卓』で観た、語りやテキストの入ったスタイルが、作品独特のものでなく、監督のものであることがだんだん分かってきた。今作では、携帯電話での会話のひとつひとつを、台詞のたびにカットを変えて編集していて、細切れな感じもまた独特だった。
そしてもうひとつ分かったのが、作品が非常にライブ感をもってつくられているということ。「差し込み」が多いとどこかのサイトに書いてあったけれど、つまり、難しい本にたくさんの注釈がついているように、骨子は骨子として、後付でいろんな注釈的なサイドメニューをつくりながら製作している様子がうかがえる。いろいろあってようやく現在のシーンにたどり着いて、突然とってつけたようにエピソードワンがはじまる。これこそ差し込みなのだそうだが、このシーンが作品に深みをもたらしたように感じる。
ところで青春というものを、僕は青春のころになにも感じられなかった。その言葉自体、現在進行形で扱われることのないものではないかと思えさえする。長澤雅彦夜のピクニック』では青春が終わっていくなどと進行形で語られるのだけれど、青春の終焉を決められるものではないだろう。この作品を観ながら、なんとなく行定勲『ひまわり』や『きょうのできごと』を思い出していた。これらの作品には、どこか思い出づくり的な作為がみられ、それは善し悪しの問題ではないのだけれど、今作のような客観性を強くもったものとは性質が異なる。おそらくそれに近いことを、トークショーで司会をしていた松江哲明氏もブログで書いている。
ところでこれが川村ゆきえのデビュー作だというのはちょっとした驚きだ。うまくはまって、作品に花を添えている。活躍の場が増えそうだ。