ドッペルゲンガー、梅喜さん、『パプリカ』

他人の夢に侵入し共有することで、心理状態を把握し治療する。それを可能にする機会「DCミニ」が盗まれた。そして、他人の夢に進入して精神状態をコントロールする「テロ」が始まった。事態を収拾しようとするパプリカや研究所所長、刑事までもが、夢と現実の区別がつかなくなり、また覚醒できなくなる。秩序を回復する術はあるのか。
もともとSFの心得がまったくないこともあって、途中から筋がよく飲み込めない状態が進んだものの、べつにそれは不満ではなくて、目くるめく迫力とアイデアに溢れた映像にひたすら満足した。子供が見てもあまり感激できないと思うが、大人が子供みたいに手をグーにして観られる作品だと思う。思わず叫びそうになる。あぶないあぶない。
そんなわけで、これといって映画的なことを書けそうにないわけだけれど、観ながら、黒沢清ドッペルゲンガー』と、落語『心眼』を思い出した。ドッペルゲンガーは"あっちゃん"とパプリカを見ていてそう思ったわけだけれど、それはただ分身だというだけでなくて、終盤、実際の自分とパプリカが融合していくあたりが、黒沢作品と似ているのだ。相変わらず原作を読まないから、こんなに暢気でいられるのだと思うが。
『心眼』というのは、"メクラ"の梅喜さんが、見えるようになりたくて毎日お参りに行くのだけれど、ある日夢のなかで、目の見えるようになった梅喜は、浮気して芸者と一緒になろうとしていて、そこにかみさんが飛び込んできて殺されそうになる。盲目というものは妙なものだね、寝ている内だけよく見える、というのがオチになる。
この話を思い出したのはすっかりスタッフロールになった頃。なぜか「梅喜さん」という言葉が浮かんできた。「心眼」も、後期近代の妄想になると「パプリカ」になっちゃう、といったところだろうか。