佳作まであと一歩 『幸福のスイッチ』

村の電器屋「イナデン」は村じゅうに親しまれる存在。社長と呼ばれる誠一郎(沢田研二)は電池の交換や修理、家具の移動に至るまで、ほとんど報酬のない状態で請け負う。3姉妹の次女・怜(上野樹里)はそんな父親を嫌い、恨んでさえいた。いつもすねていた。電器屋なのに電気が止まるほど貧しく、母親は苦労の末に病死した。家族を顧みずにお客様第一と言い張り、しかも浮気疑惑まで。そんな父親に反発して家を飛び出したものの、生来のすねた性格がもとで勤めていたデザイン会社まで飛び出してしまう。姉妹たちのうまい策略によって久々に帰省した怜は、入院した父親の代わりに店で働くことになる。
良くも悪くもこの作品の色を決定付けたのは、キャスティングだと思う。家族のキャスティング以外にあまり大物を起用せず、視点をできるだけ家族に集中させる、濃淡がいい。話題を上野樹里に完全に集中させた脚本もいい。映像美術や文芸作品とは違う、肩の凝らない人間ドラマになっている。和歌山の冬の陽気にお誂え向きだ。
先日に引き続き、上野樹里が凄いことになっている。作品の終盤になるまで、だいたいいつもすねてふてくされているのだけれど、観ている側の背筋がぞーっとなるくらいにはまっている。なにをやらせてもはまってしまう。こんなに使い勝手のいい役者もいない。まるでお客様第一のイナデンのようだ。高校時代のつんつんした少女役がまたすばらしい。
そう、この作品は主人公がつねにつんつんしてすねている。それでほのぼのした映画をつくろうというんだから、脚本はたいへんだ。でも、どういうわけかうまい具合にできている。これはかなりつくりこんでいる。
ただし残念なことに、「佳作の手前」と評したい。ネットの映画評にも散見されるように、テレビドラマ的なのだ。観客は2時間座りっぱなしでスクリーンに集中しているのだから、もっと台詞を削いで、映像に語らせてもよかったと思う。もっとも台詞が少ないことが映画だというわけではない。解説しない台詞でストーリーを転がしてほしいのだ。
ラスト、オルゴールの点検で客を喜ばせたあと、上野が店でひとりきりになる。そこで、いままで携わってきた客のいまの様子が次々と映し出され、ひとつひとつの家の明かりが、上野の手によって灯ってきたことを、誰に語らせるでもなく表現している。これだよ、これ。このシーンが映画としての体裁を、首の皮一枚で保っている。今後に期待の監督、ということにしておきたい。