すいませんやられました 『虹の女神 Rainbow song』

あおい(上野樹里)が死んだ。岸田(市原隼人)があおいに会ったのは、彼の度重なる恋愛遍歴の途上、好きな人とバイトを代わってもらいたくて談判したときだった。岸田は変わっていたけれど、とぼけていて、まっすぐな青年だ。あおいは大学の映画研究部にいて、自分の監督作に、岸田を呼んだ。ふたりはいい友人の関係だった。いや、でもちょっと違う。と思ったのは、あおいのほうだった。
岩井俊二のプロデュース作品だということで、こちらがその気で観るせいでもなく、篠田昇がカメラを握るわけもなく、それでも岩井的になるというのが不思議なにものだ。その雰囲気がたまらなく好きな人もいることだろう。だとすれば、岩井以外が岩井的であるということを、ファンがどう思うのだろう。いやいや、岩井的であっても岩井ではなし。やっぱり違う。なにかちょっとしたところが。
驚くのが、いまや青年となった市原と、岩井作品の経験を持たない上野が、じつにその雰囲気にしっくりきている辺りだ。青春の淡さと日本映画の奥ゆかしさを、コミカルなのに叙情的に描く。演出のよさが光っている。ただ、どうしても岩井作品と比べてしまうけれど、もっとクセのあるキャラクターが、パステルカラーのなかにビビッドな一点を加えて、作品をきゅっと引き締めてほしかったようにも思う。佐々木蔵之介が担っていた部分かもしれないけれど、大人になると、いろんな部分を諦めてしまうんだよなあ。
作品を観ていて、なにかに似ていると思ったら、竹中直人『東京日和』だった。故人についての思い出を照射し、彼女がいないということをいまさらながらに実感して、泣く。竹中が紅茶を淹れながら泣くのと、市原が上野の書きかけのラブレターをつかんで泣くのが、重なって見える。幸せだと、幸せに気づかなかったりする*1。その虚しさと儚さと、それゆえの美しさという矛盾が、非常に映画的でいい。
ここまで書いておいて言うことではないけれど、この作品の感想を、本当はまっとうになんか書けない。これは飽くまで僕個人にかんしてなんだけれど。というのも、上野樹里演ずるところのあおいが、思いっきりタイプなんだよねわはは。すんごくいい。強気なところも、それでいて大事なことがいえないところも、夢をあきらめないところも、ついでにいえば髪形も、なんもかんも。
まさか上野樹里にやられる日が来るとは思わなかった。今日は完敗。御見それしました。

*1:長澤雅彦『ココニイルコト』より