この監督はミニマムテーマがお奨めだな 『早咲きの花』(東京国際映画祭後編)

三奈子(浅丘ルリ子)は近いうちに失明するといわれ、カメラマンとして活動する海外から帰国、故郷の豊橋を訪れる。そこで出会った高校生たちと語りながら、戦時中の兄との思い出を振り返る。幼い時分、つねに兄にくっついて回っていた三奈子だったが、その兄が学徒動員で工場に出向くと、その帰りを待つほかなかった。終戦も近づく昭和20年夏、豊橋アメリカの戦闘機がやってきた。
現在の三奈子のストーリー、現在の高校生たちのストーリー、戦時中のストーリーの三つ巴で展開する作品で、うまくいけばスケールの大きな作品になったかもしれないけれど、今回はちょっと残念な展開だ。前作『ほたるの星』は、子供たちと新米教師のまっすぐな思いがそのままストレートに出ていて、娯楽映画としては上出来だったので、今回も期待したのだけれど。
脚本も務めた監督のティーチインによると、三奈子のピンホールカメラシャッタースピードが遅いので動きのあるものが写らない)、高校生が企画する"ええじゃないか祭"(古い行事の復活)は、現在と過去が交差することを意味していて、戦争を現在の実感の元に蘇らせて、いわば反戦的な意味合いを持たせているとのこと。いわれてみないと分からないなあ。映画はじっくり観るもので、だからはっきりとものを言わなくても何かを伝えられるし、むしろ言わないのに何かを伝えるという奥ゆかしさが日本映画的だと思うけれど、それと今作とはちと違うようだ。
よいところを探すならば、戦時中にシーンに尽きる。登場する子供たちのほとんどが地元に住んでいるということで、素人の子供たちの名演には惚れ惚れとする。子供たちを扱うとピカイチの監督だ。監督が「子供たちを見て」と太鼓判を押すのもうなずける。ほか、戦時中のシーンは大人もよい。北見敏之はとくにいい。あまり台詞はないのに、それでも観客に語りかける雰囲気がすばらしい。
ところで東京国際映画祭で鑑賞したこの作品、劇場には安倍晋三総理もいらっしゃった。そういう意味もあったのか、ティーチインでは、質問ではなくて、ただ作品を絶賛するたけのコメントを出す観客が何人かいた。べつにかまわないのだけれど、大きな映画祭の公式参加作品のティーチインなんだから、もっと専門的な質問が飛び交っていい場面だ。司会者もそのことを心得ているとは到底思えない。どこか政治的な臭いがぷーんとしたのを、できれば気のせいだということにしたい。