名演光るドキュメンタリー・ファンタジー 『日本の自転車泥棒』(東京国際映画祭前編)

男(杉本哲太)は、気がおかしくなったように、衝動的に自転車を盗んで漕ぎ出した。雪の積もる釜石を発ち、音信を絶やし、峠を越え、南下する。あるときは馬小屋で、またあるときはビニルハウスで夜を越え、また新たな自転車を盗んでは進んでいく。なにが彼をそうさせたのか。いけるところまでいってみるか。やがて東京にたどり着き、力尽く。
主人公にほとんど台詞がなくて、寒々としたなかをひたすら自転車を漕ぐシーンが延々と続く。確かに酷寒なのだろうけれど、必要以上に風の音で雰囲気を煽るのは、CM出身の監督の性質というものだろうか。杉本哲太の、地を這いつくばるような獰猛な表情が凄い。衝動に突き動かされながらも、肉体の限界や社会との隔絶に葛藤を覚えたのではないか。と思わされる。
一見ドキュメンタリータッチでストーリーが進んでいくのだけれど、伏線のない人びととの交流が、ちょっと不思議な感じで繰り返される。ラスト、主人公の解放のシーンも含めて、これはファンタジーの一種とも捉えられるのだろうと思う。欲望と過酷さがファンタジーを編み出す。もちろん、ロードムービーであるという前提で。
この作品は、役者たちの名演で成り立っている。それは、ほかのどれかが足りないということではなくて、必要のない台詞を一切排除して、役者の動きや表情、数少ない台詞のやり取り(それもほとんどが二人芝居)で、意味を十分に表現できるように仕組まれているからだ。前述の杉本の、ワンカップを片手に握り飯を頬張る演技は最高。ほか、原田芳雄原田知世(不覚にも彼女だと気付かなかった!)、藤田弓子といった才能が、それぞれの色でフィルムにきれいに溶け込んでいく。この演出はすばらしい。高野志穂がきれいだなあ。
ただ、ちょっと疲れる。音声の強弱があまりうまくつくれていないことも残念。粗い作品ではあるけれど、穏やかそうにも怖そうにも見える監督の今後に期待できる。それでいいと思う。