『フラガール』

本当にいい音楽は解説を拒絶すると早川義夫は言うけれど、本当にいい映画だって同じことなんだと思う。いま、この作品は、僕になにも書くなと言っている。それも、北風ではなくて、太陽のようにやんわりと、しかし力強く。『69 sixty nine』の李相日が、こんなにもいいものを作れるとは、嬉しい誤算といっては失礼かもしれないけれど。脚本の羽原大介のお見事さといい、なにもかもぴったりはまっている。定石にして、どこか新鮮だ。
炭鉱の閉山を余儀なくされた街に、ハワイアンリゾートの建設が決まった。そこの目玉であるダンスは、鉱夫ではなく、その家族の女性たちが担わなければならない。周囲の反対のなか、生きるために必死に練習する姿を追う。スポ根的でもあるし、青春映画的でもあるけれど、それが答えのすべてではない。ある者にとっては青春でも、ある者には労働であり、あるいは挑戦でもある。しかし、同じ釜の飯を喰らい、同じ苦労に泣き、同じ喜びに打ち震える。そこに生きた証がある。これが事実だということが、作品の背中を押している。
それにつけても、蒼井優だ。『リリイ・シュシュのすべて』のころから彼女を観ていて、ずば抜けた才能の持ち主であることはよくわかっていたつもりだが、今作の彼女は、そんな僕の予備知識をも軽く凌駕していた。ちょっとおっとりしていて、でも頑固で、もやもやしていた序盤から、親友との別れやつらい練習を経て、プロとしてリーダーとして、自信に満ち溢れたひとりのダンサーへと進化していく。その過程を表現するうまさは、神が降りたかと思わせる。けれども、それが今の彼女の実力だということは、紛れもない事実なのだ。ハワイ国際映画祭での紹介ページでは、出演者の筆頭は彼女になっている。作品を観れば、その意味がよくわかる。
今年の日本映画は総じてレベルが高く、実りのときを思わせるものの、秀作はあっても傑作がなかったというのが感想だ。しかしいまここに極まれり。これが日本の映画だと、胸を張って言ってしまおう。とはいえ、作品の中盤から、その質の高さとストーリーのよさにうるうるしてしまって、正直なところ、あまり詳細なところまで思い出せない。今年はじめて、鑑賞中に鼻をすすってしまった。ああやっぱり、解説を拒絶している。蒼井優の名演が、徳永えりの澄んだ眼が、松雪泰子の思い切りのよさが、しずちゃんの意外な演技力が、豊川悦司の男らしさが、僕のむなぐらをつかんで離さないんだ。