すべては朝にとけゆく 『夜のピクニック』

貴子(多部未華子)には秘密がある。誰しも、それは恋なのだと思っていたし、それが嘘だとは本人にも言い切れない。でも、秘密は秘密だ。気になる人がいる。西脇だ(石田卓也)。その人は貴子にとって、いやお互いがお互いにとって特別で、そのことを知る者は、誰もいない、はずだった。ふたりは近づきたいと思っていたが、意識しすぎるあまり、避けて通っていた。逃げていたともいえるし、諦めていたとも。そして迎えた歩行祭。24時間で80kmを歩ききる、高校の伝統行事だ。さまざまな友情と恋愛模様が咲くなか、ふたりはまだ、近づくことができない。
ただ歩くだけというシチュエーションを映画としてどうやって描くかというところは、監督や脚本家の腕の見せ所だと思う。さまざまなストーリーやキャラクターを盛り込んでいくもよし、ひとりに注目して、ドキュメンタリーみたいにするもよし。しかし、脚本が饒舌になってはいけないし、逆に語らなすぎると退屈になる。そのさじ加減が大事だ。
印象としては、ちょっと脚本が語りすぎたと思う。長澤雅彦にしてはめずらしく、キャラクター設定に重きを置いて、あえてくどい感じに仕上げてある。予想に反した展開に戸惑ったこともあって、前半は不満が残った。
ただ、ひとつ引っかかるところがあった。いろんな個性を提示していくなかで、多部未華子がひとり、妙にあっさりとしているのだ。あれだけたくさんの生徒がいれば、誰を主役にしたっていいし、主役をできる役者が何人も出演している。けれども、あくまで主演は多部だ。それでいい。彼女を主役にキャスティングすること自体、長澤雅彦の映画なんだと思う。彼女の、目立ちすぎず引っ込みすぎず、芯の強さと葛藤の混じったものをストレートに芝居に持ってくる、あの個性がいい。彼女をできるだけ静かに見つめながら、脇役の脇役としての魅力を引き出していく手法が、なんとも長澤的だ。西原亜希貫地谷しほり柄本佑近野成美高部あい加藤ローサ。みな印象的なのに、主役を食わない。
さて、ピクニックと銘打ってはいるが、80kmを歩く過酷なものだ。最後の20kmはジョギングもする。楽しいと思えるのは、すべてが終わった後のことなんだと思う。それまでは、とにかくきつい。でも、集団が同じことを一緒にやるということが、それが困難な作業であればあるほど、お互いを理解しあうために絶好の機会となる。思い出を語るとき、辛かったときのことのほうが盛り上がるものだ。
夜になり、もうバテバテだ。「疲れすぎて嘘がつけない」という科白があるが、さまざまな駆け引きやドラマは、疲労とともに削がれていき、どんどんシンプルになる。そして、抱えていた秘密が、親友の一言で、自分だけのものでないことを知る。秘密を守る衣がぽろぽろと剥がれていったとき、問題がシンプルになり、やがてふたりの心は溶解する。朝は訪れた。
ラスト、打ち解けたふたりと、秘密を共有する仲間たちがゴールする。すべてを知っていたかのように満面の笑みで迎える校長先生(田山涼成)。せーのでジャンプしてゴールしたゲートの裏には、「START」の文字が。そう、いま、ふたりにはスタートのときがやってきた。それはまるで、朝の青空そのものなのだ。
ゴールの直前、貴子は、親友の美和子(西原)にありがとうねと言って、泣き出す。あの多部未華子が泣くんだ。あんなに、あんなにきれいな泣き顔はほかにない。なんて素敵な表情をするんだろう。そのすばらしさに、思わずもらい泣きしてしまった。映画には、一瞬の輝きがあればいいと思う。泣き顔からゴールまでの流れは、百点満点、最高のエンディングだ。その輝きのために、残りの時間はあったのだ。僕の心も、ついに溶解した。