優秀でないが佳作の星 『ミラクルバナナ』

幸子(小山田サユリ)はいつでも進路を自分で決める。高校も大学も、家族の誰にも言わずに。そして今回、彼女が決めたのは大使館の派遣員。しかし誰にも相談しなかった結果、タヒチとハイチを間違えて希望していたことに、採用されて初めて気がついた。しかしケセラセラ、あくまで前向きだ。暴動の耐えない貧しいハイチで、子供たちの笑顔だけを頼りに活動を続ける。やがてバナナペーパーの存在を知った幸子は、これで子供たちに勉強させようと、のめりこんでいく。
正直なところをいえば、映画としてはいささか物足りないし、不備も多い。治安が悪いという設定なのに、財布を持ち歩く、女性ひとりで郊外をふらふら歩く。しかも大使館は忙しいと前任者から言われているのに、夏休みみたいじゃないか。脚本や撮影の質に、どうしても軽さが残る。
しかし、ハイチという、本当に治安の悪いところを舞台にしようとしたとき、どうしても撮影に制約がつくことは想像できる。あくまでその状況下における撮影であり、それを補う編集だったということを、ひとつ加味したい。上映後にティーチインがあり、撮影のほとんどを隣国で実行しなければならなかったという監督の苦労話は、逆に完成に漕ぎ着けようとする意思を強くした様子だった。
この作品で無視できない点があって、映画にもいろいろあり、主役の魅力をひたすら際立たせることに注力されるものがあるということ。それが作品の体を成すかどうかは、台詞が饒舌にならずに、いかに主役の内面を捉えて、映像とストーリー展開の美しさを保つかどうかにかかっているように思う。たとえば宮崎あおいの存在と魅力だけに頼りきってしまった『ギミー・ヘブン』は失敗しているが、頼れないことを承知のうえでYUIをキャスティングしたはずの『タイヨウのうた』は、脇の固め方のうまさで、危うさがギリギリのところで押し黙っている。
今回は、結果として小山田サユリのプロモーションビデオのような作品となった。これは監督の意図するものではなかったように思うので、彼女自身がそのように作り上げたのだろう。いままでほとんど明るい演技を観たことがなかったこともあり、なんとも遅咲きの新鮮さが充満していた。とはいえ前半は、彼女の脇を固められる陣容が乏しく、ただのB級コメディなのかと心配したが、山本耕史緒形拳小日向文世の登場で、ぐっと引き締まった。とくに山本耕史は、作品にぴったりくるいい演技で、際立っていた。それから、緒形拳小日向文世の二人芝居のシーンがあるのですが、理由は分からないけれど、なんであんなに面白いんだ。いいんだ、二人の芝居が。
スタッフもこの陣容を支える。和紙職人・山村(緒方)とともにバナナの木を見学に行く道中、逆方向を走る対向車しか見えない。しかし、休憩中、山村が現地でこさえたおにぎりを頬張ると、同じ進行方向を走る満員の乗り合いバスが走り抜ける。幸子はバスに向かって大きく手を振る。幸子の行動力が事態を変えていく、その暗喩を取り入れたのだ。
自分でもどうしてこの作品にこんなにたくさん書いているのか分からないが、たいした作品でないわりに、妙に印象深い。なんだかんだで僕好みというところなのかしら。