ルージュの伝言は雨上がりに 『水の花』

ただなんとなあく観にいっただけの作品だったのですが、これが完全に打ちのめされたといいますか、ただただ「うまいなあ」と心で連呼し続けました。きわめて静的な描写、自然光による明暗の表現、これでもかというぐらいに削ぎ落とした科白。映像がストーリーを、心情を、語る。映画を観ているということに非常に意識的になれます。
中学生の美奈子(寺島咲)は父とともに母親に「捨てられ」てから何年も経った。父娘だけの暮らしにも落ち着きが感じられたころ、母親が父親違いの幼い娘・優(小野ひまわり)とふたりで、近くの団地で暮らしていることを知った。伏せてあった影が浮き彫りになる。捨てられたという思いと、憎くても消せぬ母親の温もりへの思いとが交錯する。
ある日、優がふらふらと家出する。それを見つけた美奈子が近づく。もう帰りたくないという優に、魔が差したか、海を見に行こうと持ちかけ、誘拐する。優を消したい、母親に会いたい、会いたくない、母親は自分のことが嫌いなのか、なぜ自分だけがこんな境遇でいなければならないのか、なぜ自分は生まれてきたのか。ネガティブな心情とは裏腹に、優は美奈子を信頼し、姉「のように」慕っている。優との交流が、美奈子の過去を整理していく。現実を容認したわけではないけれど、大人になっていく。
青春映画の一種と見てよいと思うのですが、数多ある曇天模様の青春のなかでも、とりわけ雲の厚い作品です。雨も降ります。なんて憂鬱なんだろう。しかしその情景を、重くなりすぎず、軽くなりすぎず、ある種軽快に演じた寺島咲がすごくいい。いまずっと、彼女の代わりはいるのだろうかと考えてみたけれど、ほかの誰を当てはめてみても、軽かったり重かったり、どうしてもアンバランスな感じがします。
この作品では、ふたりの母親の口紅が何度か登場します。これは優がお古としてもらったものなのですが、ラスト、これが重要な役割を果たします。しかし誰がなにを語るでもありませんから、詳細な意味までつかめません。だからこそおもろいし、だからこそ映画だと思うのです。曇天に、少しだけ晴れ間が指した、というぐらいの認識でよいのでしょう。それを直球でわれわれに投げかけてきた、木下監督(なんと僕より年下)はすごい。久々にいい監督を見つけましたよ。