捨ててシンプル、ストレートな仕上がりに 『ゲド戦記』

この夏、アニメの双璧というと、この作品と『時をかける少女』でしょう。長らく頭を悩ませた世代交代がいよいよ進みだす、よい収穫の夏だったと思います。細田守宮崎吾朗は同い年なのですね。
経歴の違いがあるので一概な比較はできませんが、前者は追う立場、後者は追われる立場。前者作品には新しさゆえの優秀さがありました。ときどき、ベテランを食うほどすばらしい新人の役者がいますが、彼らに実力があるのかといえば、それはその後の活躍次第であって、とにかく一瞬の瑞々しさと輝きがある。それは新人のころにしか現れないもので、だからこそ評価したくなる。細田監督を新人とは言いませんが、その強い力が、『時をかける少女』には溢れていました。
一方、宮崎監督には同情の念を禁じえません。スタジオジブリもいまとなっては大手企業の保守経営、ワンマンの後釜なんだから、失敗は当たり前の状況のなか、しかしそれが許されるわけもありません。たいていなにを作っても批判されるでしょう。マキノ雅彦監督はあの年齢にいたってようやく映画をつくりはじめました。もともと大物だから批判も容易にできません(べつに批判する気はありません)。まともな世襲はさぞかしつらかろうと思うわけです。
それにしてもずいぶんな批判を浴びたものです。近年、そこまで目の敵のようにいわれる作品もなかなか見ませんから、逆に好奇心が湧いてきまして、ようやく劇場に足を運びました。
しかし、彼らはこの作品のどこに向けて、あんなに猛烈な批判を展開したのでしょうか。ピンときません。この作品よりろくでもないものはいくらでもあります。最近の日本映画はレベルが上がっているし、観る側も肥えてきたというのはあるでしょう。あるいは、期待値の高さをも物語っています。クレームは、期待値から遠ざかるほど大きなものになっていくものです。
僕の不勉強であれば仕方ありませんが、なかなかいい作品でしたよ。『もののけ姫』を最後に、ネタ不足か人材不足かそのどちらもか、魅力に欠ける作品が相次いだと考えていますが、今作は分かりやすくて、商業映画として十分に体を成していると思います。
相変わらず僕は原作を読みませんし、説明不足の点はいろいろあるし、少年犯罪や少年の葛藤であれば『誰がために』や『疾走』のほうが面白い描写が多い。しかし、削ぐべき部分を思い切って削ぎ、一人の少年とともに現代社会を考えようと、スクリーンを通して語りかけようとする表現は多く見られました。シンプルに、ストレートに、しかも残忍さから温和な前進へという描写が、胡散臭く映らない。それがアニメーションにできることでしょう。
ただ、この作品に限りませんが、ジブリ作品のテーマはかなり大きなものである一方、小さなイシューでストーリーが展開している傾向があります。大きなものをたくさん背負ったいただけるのはありがたい話ですが、たまには小さなテーマをそのままイシューにして、日本映画的な魅力を生かしてほしい。あとは、無事に世代交代が終了することを、心より祈るばかりです。