旅立ちには切なさを、ラリーには手加減を 『時をかける少女』

最近、映画に勝てません。いや、そもそも勝ち負けってなんだという指摘もさることながら、どんな勝負だろうと勝てるわけがないという気もしますが、映画は勝負です。そして対話です。最近の場合は、対話不全には陥りませんが、じわりじわりと土俵の外へ追いやられてしまいます。日本映画の成熟っぷりには感心いたします。歴史的大作はなくても、粒よりです。
そしてたまにはアニメーションでも。アニメ映画は門外漢で油断していましたが、なんだ、この劇場の行列は。しかもみんな大人。女性もそこそこいるので安心な(!)環境ではありますが、劇場の座席の9割を成人男女が埋め尽くしたところで幕が開きました。そんなに話題だったのか。
結論からすれば、これは面白い。天晴れだと思います。ひょんなことから過去を体験できる「タイムリープ」の技術を手に入れた少女が、走って跳んで泣いて叫んで汗をかいて曇天模様の青春を謳歌しながら、ちょっぴり大人になるという、わたくし好み直球のストーリー。この作品を、タイムリープ小津安二郎に見せにいったら、彼はなんと言うだろう。驚く顔が見たいよ。
正直なところ、美術面でこんなに驚かされるとは思いませんでした。かなりいろんな場所にロケハンに出かけて風景をつくっていったそうですが、ディテールの正確さ、設定の無理のなさ、そしてカットの構図のよさは、ほとんど伝統的日本映画を観ているのと同じ感覚です。そこには、日本人に潜在する美しさの基準がありました。山水画や浮世絵のように、土台としての風景の魅力があって、そこに人をのせていく。そうすることで、風景が活き活きと浮き立ってくる。その、美しさです。
そして、圧倒的に面白い脚本です。こんなにも多面的なアイデアで、こんなにも庶民的な面白さを出してくるとは、なんともいじらしい。ひとりの少女の物語についてスクリーンと対話していくうちに、その対話のラリーが、相手の手加減によって続いてきていたのだと気付かされました。僕が振り落とされないギリギリのところで、いろんなところにボールを放られる。多くの観客がこの対話を、記録ではなく記憶に残るナイスゲームとして完成させたに違いありません。
主役・紺野真琴(この名前、狙ったのか狙ってないのか)の清清しさが印象的です。演じた仲里依紗はお見事な主演女優だと思いますよ。