指先の傷は小さくても出血は多い 『ゆれる』

この作品を観たのは先週の木曜。その直後から、感想をどうやって書こうか悩んで、まだ答えは出ません。きっとずっと出ないのでしょう。
全体の構成にこそ驚きはないのですが、出過ぎない台詞のひとつひとつに刃物がついているような感じで、作品に緊迫感を与えています。これが女性的というものなのでしょう。凄みを理解しながらも、才能に嫉妬しないし同調から生まれる感動も得ないのは、僕が男性だからにほかなりません。あるいは、僕には芸術を愉しむセンスが欠けているのでしょうか。
いま思えば、作品中で質感に関する言及は多くなかったかもしれません。たとえばタバコの煙、血、体臭、味噌汁。それらのどろっとした感覚が、敢えて殺したかのように感じられない。そして印象にあるのは、渓流や洗濯物、ホース、法廷、白シャツといった、線対称の向こう側なのです。
なのに、脚本は決して、観るものを楽にさせてはくれません。よく研いだナイフで毛細血管の多い指先を切ったときのように、さっくりと、しかし出血は多い。それがいかに用意周到なものであったか。だからこそ、ハッピーエンドだとは思えません。兄が見せる笑みに、たっぷりの懐疑心を乗せたまま、スタッフロールへと雪崩れ込んでいきます。
この西川美和の世界を、たぶん見事に表現したのがオダギリジョーでした。演じきった、という言葉が相応しい活躍でした。そしてほかの役者たちがすべて、「対オダギリ」の様相でぶつかっていくのが、実に見応えあります。