鎮魂歌はなかった 『初恋』

まさかこんなにまっすぐな作品になっているとは思わず、圧倒されたまま劇場をあとにした、というのが正直なところです。主人公とその周りの幾人か(それも後半にはさらに絞られる)だけをひたすら捉えつづける。余計なものは撮らない。余計なことは語らせない。そのうえで、3億円事件の3年前から丁寧に描いていく。あくまで時系列に。
しかし、事件の計画が3年越しだったということは決してないわけです。むしろ、事件は重要ではありません。描いてきた数年間の、幾人かの若者の姿、なにより主人公・みすずが社会を知り、歯向かい、自分の存在を認めてくれる人に会い、離れる。その葛藤だったり虚しさだったりが、この作品の主題になっています。
公式サイトに、著名人らのコメントが掲載されていて、年配の世代が時代の匂いを、若い世代が純愛を称えているのが対照的で興味深いのですが、僕はそれよりもちょっとずれた感覚を得たのですね。僕は時代の甘美さの表現があったとは思わない。確実に所得が増大していった時代らしく、社会に抗うための資金も社会から吸収していったし、それに甘んじたうえの火遊びだった。もちろん彼らは本気だったけれど、その脇の甘さを透かし見るような表現をしていたと思っています。
信じるものがあるということは素晴らしいと思うけれど、あまりにも一途過ぎた。自分がなにを信じるかは、自分を認めてくれるものがあるかどうかに係るわけですが、みすずの初恋は、純愛であった一方で、手からこぼれ落ちる砂のように虚しいものだったことに、晩年になって気付いたのではないだろうか。だからこそ、心の傷に時効はない、のでは。
ところで、この作品のなかの宮崎あおいはすごい。今年だけでも4本を観たけれど、この作品ほど、彼女の魅力を最大限に引き出したものはありません。彼女の存在感は非常に大きく、また彼女自身、数多くの出演作に器用に参加しながらも、一方で、まるでみすずのように直線的な感性も備えているような気がしています。それがゆえに、ある作品では周りの役者やスタッフが彼女になめられ、またある作品ではほんのわずかな意思の齟齬が解消されないままフィルムに残ってしまっていました。
彼女には、演出の確かさが必要でした。塙監督の演出力は、見たこともない時代のなかで、彼女を活き活きと動かし続けました。電車のシーン、新宿の闇のなかで、彼女のコートと車内シートのモスグリーンがあんなに鮮やかに映し出されるとは。そして彼女の、魂の抜けたようなほわーんとした表情が、いつまでも記憶に残ります。