また明日、君が手を振る、また明日 『花よりもなほ』

山田洋次たそがれ清兵衛』は、仕事より育児を優先するサラリーマン武士が、藩命のために、やりたくもない人斬りをやる羽目になり、鮮血の飛び交う死闘を繰り広げます。男手ひとつで子と老いた母親を養う、しかし組織のために縁のない男に刃を向ける。そこに、暖かさとストイックさとやるせなさがない交ぜになった、「身につまされる」感覚がありました。
それから4年、若い是枝裕和が、同じ藤沢修平を原作に作品を撮りました。主人公は、父親の仇討ちのために江戸に入った青年の武士。しかし仇討ちが時代遅れなほど世の中は平和で、怪しい者が隠れるからといって転がり込んだ貧乏長屋も、狭いながらも楽しい我が家で、それはそれはのびのびとしたものでした。作品も、コミカルにテンポよく進行します。
彼は仇討ちに成功したか。それを書くのは控えるとして、彼と長屋の人びとの生活、そして同時進行していく四十七士の"仇討ち"のなかで、作品は、命のあり方についてひとつの結論を見い出します。桜は、来年も咲くから、潔く咲けるんだ。父親に教わった何かを、あるいは父親として何かを子に伝えるため、お日様が沈んでまた昇るのを見るために、今日という一日を生きる。戦のない世の中、何も生まず何も売らない武士にも、生きる意味はある。マゴ(木村祐一)が長屋の屋根に上って、じーっと日が沈むのを長めて言う「夜だよ」の一言が、印象的です。
時代劇は現代の鏡とはよく言いますが、宗佐が社会に認められるまでを描くこの作品は、サイドストーリーに多くの現代性を含んでいます。下流社会家庭内暴力のトラウマ、シングルマザー、リストラ。そのまま描けば痛々しいことこのうえない設定が、時代劇になるとやわらかく溶け込みやすくなるところが、この作品の狙いといってもいいはずです。そしてその中心にひとりの青年を置くという普遍性が、『魔女の宅急便』を想起させるほどオーソドックスで、大黒柱として大いに力を発揮しています。
以上、かなり作品を褒めていますが、実は好印象を持つに至るまで、案外時間がかかったことも書いておきたいと思います。冒頭、冬の日の朝から始まるのですが、これが実に暖かそうなのです。お日様が近すぎる。思えば是枝監督の作品には、冬の印象があまりないような気もします。この違和感をずっと引き摺ってしまって、どうしても作品に集中できませんでした。途中、宗佐が碁を打ちながらいい表情をするのですが、そのカットがすばらしかったので、やっとのめりこんでいった感じです。
最後に、数多い名バイプレーヤーの中にあって、ひときわ輝いていたのが上島竜兵だったことにも注目したいものです。あんなにお腹が出っ張っているのに、どこからどう見ても貧乏人です!