5月の何番勝負?

連休が明けた途端に注目作が堰を切ったように公開し続け、もうどうにも対処し切れません。本当はこれを書いたあとにもう1作観たいところですが、疲れちゃってるしお腹はゆるいし。ほんとどうしたらよかんべ、と思いながら、感想を書きます。でもとりあえずお手洗いに。

初っ端から感想を書きづらい 『恋するトマト

偶然にも場所や時間の都合がぴったりとはまったので劇場に行ってみたら、なんと平均年齢が高いことか。銀座の映画館っていつもこんな感じなのでしょうか。シニア料金と何人かのフィリピーナで埋め尽くされた異様な空間のなか、これまた異様な作品と相成りました。
いつまでたっても嫁が来ない農家の中年男性が、フィリピン人でもいいかと求婚したのに結婚詐欺で、破れかぶれになって一度は農業を捨てるけれど、再び農業を始めてハッピーエンド。というストーリー自体、コメディにするのか生真面目な路線でいくのか図りかねる状態ですが、まさか破れかぶれのシーンがあんなに長時間続くとは。映画の半分が、フィリピンでのやくざ稼業になってますよ。ジャパユキの斡旋方法なんて、べつに知りたかぁないんだ。
それで、農家がやくざになってさんざん落ちぶれて、もいっかい農業やりたいから縁を切ってくれといって、日本で細々と暮らしていたら、現地で恋仲になったフィリピン人がやってくる、というこの強引さは目を覆わんばかりです。かわいい女子なら笑って許してもいいけど、おっさんですから。2年間も放浪して、それで初めて農業の大切さが分かった、というのは泣けてきます。それに付き合わされた観客も鼻をすすってました。(彼らは本気で感動したのか。失敬。)
もっとも、前半はそこまで破綻していなかったと思うのです。フィリピンで騙されて乞食になるというまで下りは、大地康雄の演技とキャラクターのよさでかなり引っ張ってこれていました。その時点ですでに、フィルムの編集方法が退屈でしたが、まだ観られました。それだけに、もっと畑と対峙する、作品テーマどおりのシーンをふんだんに入れていただきたかった。山田洋次は「身につまされる映画を撮りたい」と言うけれど、この作品にはそれがついぞ観られませんでした。
なんだか、作品の善し悪しよりも、どうしてこんな映画観ちゃったのかなー、という後悔が先にたつ感じなんですよね。はあ。劇場の外で、感動したので孫に見せたいと力説する老婆を見かけたのですけど、まず寅さんからはじめませんかと言いたくなったのだ。

古めかしい青春がリアリティを失わない 『青いうた 〜のど自慢 青春編〜

青臭い、という言葉があります。いまどき中学生やそこいらって、もうたいていのことには驚かないし、生意気なほどに自分のことをよく見ているし、でも早熟というか、分かった振りをしている感じも同じぐらい強い、という印象があります。それもまた青臭さなのかもしれませんが、もっと言葉に本質的な、汗と泥と鼻血の臭いがプンプンするような人びとって、いるんでしょうかね。
この作品の舞台、青森県むつ市には、登場人物たちのような、青臭い少年がいるような気がしてきました。現地の人たちには「まさかー」と言われるかもしれませんが、東京まで半日かかる陸の孤島のような街だったら、もしかしたら、という幻想を抱かずにはいられません。この作品、てっきりひと昔前を舞台にしているものだと思っていたのですが、現代劇と分かってビックリ。でもリアリティを失わない力があるんですよね。
ストーリーは達也(濱田岳)が東京で流転していく様子と、ほかの仲間たちのそれぞれの生活と恋愛関係を追いながら、地元にやってきた「のど自慢」への出場で結します。この「のど自慢」が、それぞれの目標だったり願いだったり、あるいは望郷だったりします。達也の弟・良太(冨浦智嗣)の選曲「ケ・セラ・セラ」は、その題名の通り、自分たち自身へ向けられた応援歌でもあるのです。そしてもうひとつ、恵梨香(寺島咲)の母(斉藤由貴)が歌う「木綿のハンカチーフ」が、東京でおかしくなりそうな達也に向けられた、恵梨香の思いそのものであり、ぐっと来ます。そう、演出が憎いんだよなあ。
そしてキャスティングがまだ抜群です。濱田岳はほぼ初見のはずですが、面白い役者がいますね。大器晩成型の大物になりそうな予感がします。ほかにも冨浦智嗣の"弟力"や寺島咲・斉藤由貴親子の田舎臭さと純朴さと荒っぽさ、平田満や木下ほうかの抜群の演技等々、枚挙に遑がありません。
こんなに爽やかな作品だと思いもよりませんでした。お陰で、その日までに抱えていたいろんなもやもやしたものが、一気に削ぎ落ちたような気がしました。あんなにいい気分になったのは、久しぶりです。

ほっこりした空気はさすが森田節 『間宮兄弟

あー森田芳光監督作品って『阿修羅のごとく』以来だなあ、久しぶりだなあ。と、鑑賞中ずっと疑いもしなかったのですが、調べてみると、あいだに『海猫』がありました。完全に記憶から抹消されていました。面白くなかったからといえば身も蓋もないですが、作風が違って見えたということにしておきましょうか。
そのぐらい、『阿修羅のごとく』と『間宮兄弟』の作風に近いものを感じた、というのは決して嘘ではありません。これがクライマックスなのかと思いきや、そのあとに少しずつ小編を足していって、その上がるでも冷めるでもない空気を上手に持続していくやり方です。あれを暗い作品でされるとたまったものではありませんが、この作品のようにキャラクターが作り出す空気を大切にしたい場合にはもってこいですよね。坂道の風景の切り取り方や、スクリーン上の登場人物の構図など、安心して見られるのも嬉しい限りです。
佐々木蔵之介塚地武雅が兄弟という、どちらの肩を持つわけでもないが驚異のキャスティングが、本編開始早々から見事にはまってしまうのが、たまりません。冒頭、失恋で落ち込む弟と、道化ながら励ます兄を見た誰もが、ああ兄弟なのかと思ってしまう。この不思議があるから、芝居ってつくづく面白いと思うのです。こんな錯覚があってたまるかと思うけど、納得しちゃうんだよなあ。
ストーリーは、けっこういい年して独身、彼女なし、兄弟だけで楽しく暮らすふたりが、恋人を見つけようとあの手この手で女性を誘うのに、友達以上の関係をさっぱり築けない、というものです。友達にはなれるんですよね、社交的で清潔で、料理もできるし、下心はあんまり見えないし。そこが『ナイスの森』の"ギター三兄弟"と違う。でも、ふたりが求めているのはそういうことではない。
そしてふたりは気付きます。この兄弟以上の関係を、誰かと築けるってもんじゃないと。それは明るいことで、きっとふたりは、恋人がほしいといいながら、同じように過ごしていくのでしょう。たぶんそれは、年老いても変わらない。まるで都市伝説のようなふたり、それが間宮兄弟です。
脇を支える女性たちもなかなかどうして素敵です。沢尻エリカってすごいなあと思うのは、かれこれ5年ぐらいテレビや映画で見てますけど、いつもおんなじかわいさを保ち続けているのよね。だいたいどこかで目立たなくなったり、ふくよかになったり、逆に急にきれいになったりするもんだと思うのですが、そういうんじゃないのよね。彼女は案外、いろんな演技ができますからね。舞台で見てみたい。
思えば、『阿修羅のごとく』の4姉妹(大竹しのぶ賀来千賀子深津絵里深田恭子)と、『間宮兄弟』の恋人候補(常盤貴子戸田菜穂沢尻エリカ北川景子)って、どこか投影できる部分がありますね。森田節を楽しく拝見いたしました。

むしろもっとチープならよかったのかしら 『陽気なギャングが地球を回す

前田哲監督の最新作だというから、しかもそれが大手流通の作品だというから、嬉々として劇場に行ってまいりました。
この監督の作品にははずれがない、という感触がありました。もっともこの書き方には、当たりかどうかの約束はない、という意味も含まれてしまうのですが。ここのところ2作(ガキンチョ★ROCK、パローレ)が当たりじゃなかったということを、これを書くいまになって久しぶりに思い出しています。なんてポジティブシンキングなのでしょう。そのことを思い出していたら、無理してみることはなかったかもしれません。そう思うと、運命とでも申しましょうか。
まあそうね、今回もはずれじゃなかった、というぐらいにしかちょっと伝えにくいものがあります。僕は楽しんで観ていたのですが、筋に無茶が多すぎるし、そのわりにキッチリと作り込んであるし。なんといったらいいのでしょう。流行らない娯楽もの、という感じでしょうか。演出はよかったのですが、あらゆる部分が惜しい。
むしろもっとチープにしてしまって、いかにも怖いもの見たさで足を運ぶ作品に仕上げてしまうというてもあったでしょう。もっとも前田監督はそういうことをしないと思いますけど。いっそミュージカル仕立てにしちゃうとか。もともと設定が非現実的ですからね、どこかではじけないと成立しない気がします。
わかるでしようか、この、どう感想を書いたら分からずに苦悶している感じが。それでもここで書かないと二度と書かなくなるので何とか繕おうとしていますが、もうよしておきます。きっとしばらく大手配給はないと思いますが、また小さくてもいい作品を作ってほしいと願います。