息の詰まるきれいさ 『THE 有頂天ホテル』

昨日からの続きで言えば、『博士の―』のストーリー展開は、かなり凡庸なものでした。いわゆる起承転結のはっきりした構成だという意味ですが、きれいで安定していることは強みでもあります。感覚的な物言いですが、日本映画然とするかしないかは、この屋台骨のかたちに依存するのかもしれません。
さて、三谷幸喜監督ひさびさの新作は、高級ホテルでのドタバタ劇。だいたい予想はしていたのですが、さすがです。複雑で緻密で大胆だけど無駄のない構造には、ただただ感心するばかりです。観客の記憶の範疇を超えたところで、ものすごくたくさんの出来事が同時進行で動きまくっています。コメディマニアやミタニマニア垂涎の一作と言えるではないでしょうか。たぶん。
たぶん、というのは、僕の心をくすぐるものではなかったからなのですね。ああきれいだなあと思ったぐらい。でもきっと面白いのでしょう。この作品はまさにプロダクトなんですよね。そこにストーリーがあるように見えて、実はなにもない。だって、カウントダウンパーティーまでの2時間を、視点をコロコロと変えながら映し出しているだけなんだから。
つまり、あくまでもわれわれは、作品に含まれる小さなストーリーを脳内で勝手に組み立てて、大きなストーリーだったかのように感じているのです。推定主人公の新堂(役所広司)だけは、現在過去未来が登場人物たちによって語られますが、あとはさっぱりなんですよ。そのあまりにも現代的な感覚が、きっと面白いんだろうなあと、そう思ったわけです。
先ほど「推定主人公」と書きましたが、これがまさにその裏づけとも言えるもので、エンドロールでキャストは、なんと登場順に流れるのです。だから、役所広司よりも生瀬勝久のほうが先にきます。誰が主役とか脇役とか、そういうことを敢えて排除しています。
それってちょっと舞台的なのかしらと考えます。舞台出身の三谷監督が、どうして映画を撮るのか。答えはどこかの雑誌に書いてあるかもしれませんけど、汎用性というものを非常に意識している気がします。動くものを撮る、という映画的な意識ではなくて、あくまでもセットという舞台での演劇を撮る、という意識というか。
頭が混乱し始めました。鑑賞後もぐったり疲れてしまったのですが、なんとも悩ましい作品です。