僕も知らない 『カミュなんて知らない』

ひとくくりにしてはいけないのでしょうけど、東京の学生さんってたいへんですね。なんであんなに忙しそうなんだろうと思います。田舎の大学に通っていた私の実感からすれば、時間をもてあます苦悩が学生時代なのですが、彼らは余りある時間をひときりも無駄にしない。恋に講義に部活に、そして映画撮影に。
大学教授から提示された原作を使用して、学生たちが映画制作に挑む。脚本から撮影、照明、スクリプト、警察へのさまざまな許可願に至るまで、すべてを学生の手でおこなわれます。テーマは少年犯罪。それがカミュの『異邦人』と重なると気付いているのは、教官と、ほんのひと握りの学生だけ。あとは誰も知らないまま、殺人者の心理を探りながら、クランクインまでの日々を過ごします。
たとえば未婚者が夫婦役をすることになったら、そのふたりが同棲するような、演劇の世界にありがちなことが、学生のあいだでも起こりはじめます。殺人者の気持ちは、殺人者にならないと分からないかもしれない。さすがにそれを追体験することはできませんが、好きでもない人とキスをしたらどんなふうになるんだろうと考えてしまったり。教官が選んだテーマが、映画の学習という以上のものを彼らに与えます。ラスト、畳にべっとりとついた絵の具(血糊)をスタッフたちで拭き取るシーン。そう、仲間って、共同体験が生み出すものなんだよね。彼らの友情は一生もんです。
学生たちの活き活きとした群像劇に、教官の淡い恋物語が混じって、ストーリーは混雑模様。しかし複雑さを感じさせず、さらりと、しかし丁寧に描かれます。そして長回しの多いのなんの。まるで自分も学生のひとりになったかのような視点が続きます。僕などはまさに「柳町光男なんて知らない」という感じだったわけですが、2時間のあいだ、まったく飽きることなく観られました。
役者陣は、ひとりひとりがなかなか個性的で見所が多いのですが、学生のなかでは前田愛が一歩抜きん出ている印象でした。鈴木淳評とのハラハラするような会話のシーンは見事。そして、大黒柱の本田博太郎がさすがの演技で、作品を引き締めます。
(追記)どうも、この作品を見た印象にはジェネレーション・ギャップが強いようです。僕は1年前まで学生だったこともあり、自分の体験をベースに鑑賞したことと、明らかにスクリーンの前田愛を追って観ていたことが、作品中の登場人物に対して寛容でいられた原因のようです。ただしもっと上の世代には、彼らがポストモダン的で、違和感を覚えるようです(映画瓦版)。そういえば僕も、大学の後輩に対して似たような感覚を抱いた記憶があります。劇中の彼らも、一度だけ飲み会のシーンがありますが、川の字で寝ませんね。飲んで喋って雑魚寝して、というパターンって、よくあることだと思っていたのですが。ラストシーンの見方は、議論の余地があるようです。