作りが丁寧なだけに惜しまれるキャスティング 『誰がために』

最愛の人を見ず知らずの少年に理由もなく殺害された男は、非公開の裁判で犯人を隠匿され、しかも彼は簡単に少年院を出所してしまう。命を奪ったものは命で償うしかないのか。残された男の心理と行動を追った作品です。
とにかく丁寧だというのが印象です。ふたりの出会いから結婚、事件、その後の過程が、端折ることなく真面目に描かれます。それゆえに冗長になってしまいがちですが、テーマがテーマだけに、あまりテンポをよくしても問題提起がなおざりになるだけかもしれませんし、そこは仕方のないところだと思います。後半はとくに、主人公・民郎(浅野忠信)の迫真の演技が被害者遺族の心理を、答えを提示し得ない部分をも含めて表現しているのでしょう。
いま、この作品の感想ってなんて書きづらいんだろうと頭を抱えているところです。おそらく、ここまで丁寧に心理描写できた作品はそうそうないような気がしますし、それは脚本のよさであり、浅野忠信の演技のよさでもあるのは間違いありません。なのに絶賛する気になれないのは、おそらくそれ以外の部分に魅力的な点が少なすぎるせいなのでしょう。
これは僕個人の見方かもしれませんが、映画には「美しさ」とか「おいしさ」があるべきというふうに思うのですね。しかしこの作品、カットのひとつひとつは整っているものの、美しいと思えない。美しい風景をわざと美しくならないように加工したのかというほど、美しさにかけている。せめてカメラを固定してほしかった(撮影スケジュールや予算の都合上という気がしてならない)。それから、もっと旨そうな飯を映してほしかった。せっかくの居酒屋のシーンでも、飲んでばかりで料理の話題がない。コーヒー飲みすぎ。
あとは、キャスティングなんだなあ。ここが一番気になる。エリカという役者を初めて見た気がする(実際は違う)けど、ひとりだけスクリーンから出てくる周波数が違うのよね。言葉遣いや台詞回し、発声、表情に至るまで、違う部分が多すぎる。誰と並べて映しても著しく不釣合い。彼女が死んで登場回数が減り、浅野と池脇千鶴だけのシーンが増えると、映画が突如として安定します。さすがだあ、と勝手に感心してました。ラスト、民郎がタクシーのなかからマリ(池脇)のいる居酒屋をじっと見つめるところで終わるのですが、あの部分だけは好きですね。
そう、僕がこの作品を観にわざわざ渋谷まで出向いた理由なんて、たいしたもんじゃないのです。ただ池脇千鶴を見たかっただけ。前半こそ不協和音でたいへんなことになっていたけど、後半は活き活きと演技していて、安心してみていられました。とくに民郎(浅野)の結婚が決まったときの、あのなんともいえない悲しげな演技がすばらしい。案外、立派ななぐさめです。