秋の東京五番勝負 前半

ここ数週間、DVDにおいてさえ映画に触れてこなかったため、気になっている作品がたまりにたまっております。そこで、ひとまず近所で興行しているものを後回しにして、二日間、東京に通いつめることといたしました。折りしも東京国際映画祭の真っ最中。前半の日曜日は(チケットが手に入らなかったので)ミニシアターへ、後半の月曜日は六本木の会場へ向かいます。
では、前半の三本の感想を手短に。

男の家族観、女の家族観 『空中庭園

豊田利晃監督の作品を観るのはこれが初めてなので、ほかの作品と比較することができない以上、シャブの効果があったかどうかを推測するのは難しいでしょう。ただ、あそこまでグワングワンと映像を揺らされると(回転するカットもあるし)、ああやって映像を動かすことでようやく、監督の目には水平な世界が広がったのかしらなどと、邪推を禁じえません。角川春樹がそうだったように、見えるはずのないものが見えてしまって、それが逆にアイデアとして活かされるようなことはあったのでしょうか。
いや、映像として非常に面白い部分もあったのです。おもなセットを自宅の居間とラブホテル「野猿」に限定させ、そこにさまざまな家族とその周辺人物を配置していくという構図は、筋を非常に理解しやすくしてくれていたと思います。あるいは主人公の感情を映像化したシーンでは、血や赤い雨が非常に効果的です。とくに雨のシーンはグッと惹きつけられ、結末へスムーズに導いてくれます。
ところでここからは原作に関する部分なのですが、家族観に関する作品というと、どうしても僕の場合は鈴井貴之監督『man-hole』を思い出します。あの作品では、娘の行動を世間体と出世を理由にいさめようとする父親の家族観が描かれ、その空虚な父性が崩壊したときに、家庭が再生に向けて動き出しました。
その点、『空中庭園』は母性の映画です。世間体や出世といった道徳ではなく、アイデンティティのために家族を守ろうとする母親の家族観は崩壊しますが、自らの蒔いた種は決して無駄骨ではなかった。むしろ気づかないうちに、より強力な、つまり空虚ではないアイデンティティが築かれていたことを、家族のひとりひとりが自覚します。このストーリーでは、大楠道代演ずる主人公の母親が重要な役回りをします。作品に登場するあたりの「母親」が、作品に重厚感を与えるのです。
それにしても板尾創路の役どころはすごかったなあ。小泉今日子の足を舐め、ソニンにはナニを足で揉まれ、ゲロをかけられ、永作博美に調教される(シーンそのものはありませんでしたが)。ほかにも随所に見所の多い作品ではありますね。僕は馴染めませんでしたけど。

「もつけねー」を翻訳できない 『福井青春物語

全編福井弁、標準語字幕つきのインディーズ作品です。津田寛治山本浩司が出演していると聞けばたいそうなものに聞こえますが、映画と呼んでいいのかどうかも悩ましい、サークルの「出し物」みたいな作品です。いまどき地方のテレビ局でもここまで質を落とせないだろうという感じ。「ふるさとCM大賞」のノリですね。
もっともインディーズ映画は予算がほとんどないでしょうから、それは致し方ないところなのでしょう。しかしそれでは、わざわざ1200円を支払った僕の立場がありません。ここはひとつ、この作品のメイキング(本編との二本立てになっている)でもさんざん主張しているように、「福井で福井出身者だけで作られた」というところに注目したほうがよいのでしょう。
いまは全国各地で映画祭が開催され、フィルムコミッションもずいぶん増えてきました。映画で町興しをしたい自治体があとを絶たないようです。しかし、どこもかしこも同じアイデアでは、成功する自治体のほうが少ないでしょう。そういったとき、いかに地域色が出せるかということや、地域に支えられるか、才能ある人を輩出できるかといった点が、時にはお金以上に重要になってきます。
例えばこの作品をきっかけにして、福井という特殊な地域を活かした作品づくりが本格的に始まるとすれば、それに越したことはないだろうと思います。大林宣彦にとっての尾道臼杵鈴井貴之にとっての北海道、市川準にとっての東京といったように、福井にこだわって撮り続けることは、決して不可能ではないはずです。
にしても、です。福井弁は本当に聞き取れません。自分が話すのと同じ言語とは思えません。「もつけねー」の字幕が「もつけねー」だったのが衝撃的でした。標準語化不可能な言葉なのでしょうか。このあいだの『娘DOKYU!』でも解決されなかったし。あと、「けんちゃなよえー」も分かんない。

音楽と騒音のあいだ 『不滅の男 エンケン×日本武道館

アルタミラの音楽映画シリーズもこれで3本目でしょうか。今回はライブ映像のみで構成されています。しかもたった一日の。主演にして監督・脚本・音楽・舞台美術原案等、なにからなにまで、遠藤賢司による作品です。
予想はしていたけど、もう大暴れです。いきなり早朝の九段下をハデハデ衣装とボロボロ自転車で暴走したかと思えば、そのまま舞台に出てきて、ステージでも自転車に乗る始末。ステージを所狭しと駆け回り、騒音なのか音楽なのか分からないような(騒音と断定すると失礼な気がするので敢えてフォローしてみただけで、実際は騒音としか思えない)爆音をかき鳴らし、ピアノを弾き、ドラムを叩き、アンプを壊しました。
エンケンはお客さんなんて気にしません。だって、会場に客なんてひとりもいないんだもの! いるのは本人とスタッフのみ。おそらく十数名。なのに舞台は完璧に作られてます。どうやら昭和の秋の風景を再現しているらしいのですが、もしも観客がいたとしても見えないような、招き猫やら仏像やら枯れ木についた柿やら、とにかくいろんなものがステージのうえにありました。コタツのうえに腰掛けて歌ったりもして。
久しぶりにエンケンの歌を聞きましたけど、静かな楽曲には、思わずほろっとしちゃうんだよね。曲の世界がすごく優しいんです。大好きな猫もたびたび登場しますし。それ派手衣装を着て演じるんだから、反体制的です。
あのスタイルを確立するまでに、きっといろんな社会的なものを削ぎ落として生きてきたんでしょうし、エンケンのいうところの「ド素人」の僕にはそんなことできやしないだろうけど、いやむしろそれだからこそ、かっけーのです。映画なんだかただのライブ映像なんだか分かりませんでしたが、楽しませていただきました。映画が終わって拍手が出るって、なかなかないよね。