とりあえず、ズダーッと書く

日々が消化不良だなあ。自分の身から出てくるものにはろくなものがない、とは金子光晴の弁だそうですが、それを言うならいまのわたくしは、便秘といったところじゃないかと思います。そこで、いわば下剤を飲むような感覚で、ひとまず忘れないうちに書き留めるだけの作業をします。はい。

紺野あさ美的『東京兄妹』

紺野あさ美写真集(DVD付)「なつふく」

紺野あさ美写真集(DVD付)「なつふく」

画像が出てきたり出てこなかったりですね。昨晩、ようやく手に入れまして、何度か眺めておりますけれども、前作よりもずっと安心して見ていられます。そして前作よりも、ものを食べるカットが増えていてすばらしい。刺激の部分ではやや抑えてますけど、こんこんらしい感じの写真集になってます。すごくいいです。
半ばに見られる京都でのカットの数々ですが、それらを見ながら、市川準監督『東京兄妹』を思い出しました。両親を失った兄(緒方直人)と妹(粟田麗)が、残された東京の日本家屋で暮らすというストーリーなのですが、あれをこんこんでリメイクしたら、この写真集みたいになるんじゃないかしら。ちょうどストーリーの設定が、高校を卒業したばかりということになっていたので、ますますイメージが膨らみます。
しかしながら、どんどん大人になっていく。たぶん次に写真集を出すことになったら、これまでとはまったく違った作品になると思う。それはそれで楽しみであり、見たいようで見たくないようで、両手で顔を覆っているのに指の隙間から全てを見てしまうような、あの感覚だ。

緻密でリアル『亡国のイージス

相変わらず原作をまったく勉強しないまま映画館に出かけたので、この作品のストーリーの緻密さには、完全に舌を巻きました。特別編などといって、3時間を越えるような編集を施したフィルムが出てきてもおかしくないような、しかもそれでもまったく飽きない作品になっているはずで、非常に面白かったです。
人間関係のディテールは、思いっきり鑑賞後に余韻を残します。あるいは、愛国者が自国を襲撃するという考え方は、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の教理ともつながっていて、国家がテロリストに対していかに国を守るか、その思想はいかにして生まれるのか、という点で、政府に対してもメッセージを残しています。
しかし本来、愛国心は一日にして成らず。愛郷心の総体としての愛国心という考え方を強く支持するものとしては、生い立ちを重視せざるを得ません。なのに現在のニュー・エコノミーは、下手をすれば愛郷心をくじく恐れがあり、端的には、地方でも所得を確保できるような構造を編成しなければなりません。
ついつい話がそれましたが、この作品、とにかく日本映画がいまできる技術を大いに活用して作られたといっていいでしょう。阪本順治はどんな大きな作品でも臆せず作っているように見えるけれど、実際の胸中というのはどんななのだろう。怪物のような人だよな。
そして役者陣は予想通りすごかった。誰一人としてミスはない。とくに真田広之中井貴一勝地涼の三人は、今年の日本映画界を代表する名演技です。やっぱり特別編を作って。DVDの二層をフルに使う感じで。

星の王子さま』に行ってきた

映画に比べるとどうしても芝居を見る数は減ってしまうのですけど、初日っていうのは、やっぱり独特の雰囲気があるものなのですね。華やかで、なんともいえない緊張感がある。新国立劇場は初めてでしたけど、いいですね。誰にでもしかいが開かれている傾斜と、空間の一体感が。そして僕は、ステージ真正面のすばらしい席を確保しました。奮発しただけの甲斐はあった。
まず、こじんまりだけど、オーケストラピットがあるのにびっくり。生演奏のミュージカルは初めてでした。音楽は宮川彬良。歌も去ることながら、音楽そのものが非常に重視された芝居になっていて、迫力が違いましたね。
そして、なんと言っても役者です。ものすごい個性派だらけですけど、そこは演出力でうまく活かせる方向になっていました。ROLLYがすばらしいです。二役をやっているのですが、後半のキツネの熱演には驚きました。あんなに演技力があるとは、正直なところ、思いませんでした。
さあそしてそして肝心の宮崎あおいですが、やっぱりすごかった。本当のところを言うと、どうして宮崎あおいが王子さまなのか、観劇前はなんだかよく分からないでいたのですね。しかしふたを開けてみれば、舞台のうえに宮崎あおいがいることを忘れてしまうのです。王子さましか見えない。最後に一列になったとき、照れて頭をかくしぐさを見て、数時間ぶりに宮崎あおいを思い出したような感じです。
そうそう、会場がよかったせいかもしれないけれど、拍手の音がすばらしいのです。いままであんなにきれいで大きな拍手を聴いたことがない。でもやっぱりあれは、芝居への賛辞なのだと思う。すごく贅沢で、大きな芝居でした。
本当は芝居の意味についていろいろと考えたいところなのだけれど、思索に耽るには眠すぎる。エッセンスはいつかどこかに書くことでしょう。いいわけです。